龍泉寺縁起による記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 15:25 UTC 版)
牛頭天王社の由緒は、龍泉寺の寺伝である「龍泉寺縁起」に述べられている。 嶽山の麓をたまたま通りかかった弘法大師が、喉が渇き村の老人に水を乞うたところ、鉢を灌ぐに足らない水しか得られなかった。大師が理由を聞くと、老人は古の伝説を語り、「しばらくこの地に止まり霊地を起こせ。そうすれば余もまた汝の願い助けん」と言った。何者かを尋ねると、「我はこの地の地主牛頭天王である。汝が来ること待つこと久し」と言い、忽然と姿を消した。 大師が山をかき分け、奇雲が残るところにたどり着くと、仙境のような土地に枯れ果てた池があった。加持祈祷を行うこと10日、夜に雨が滝のごとく降り、龍王の再来と叫ぶ大声が三度聞こえた。夜が明けると、池は水を湛え、水中に龍穴が見えた。池には3つの島ができていた。 忽然と樵夫が現れ、茅3束を大師に献じた。大師はその茅をもって、3島に弁財天・韋駄天・聖天の神祠を建てた。樵夫が告げて言うには、後方の小高いところが醫王善逝(薬師如来)の旧跡であるとのことであった。30歩ほどのところまで行くと、石垣と鳥居があった。樵夫はこれがここの地主であると言い、去っていった。 大師はすぐに勧請して、永く当地の鎮守とした。これが今の咸古神社である。
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