龍沢寺住職と松蔭寺、白山道場
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「山本玄峰」の記事における「龍沢寺住職と松蔭寺、白山道場」の解説
翌年の1915年(大正4年)、白隠の高弟である東嶺円慈によって創建された静岡県三島市の龍沢寺住持となる。その頃の龍沢寺は甚だしく荒れており、言わば荒れ放題の状態であった。1917年(大正6年)龍沢寺の禅堂の改修が成り、白隠禅師百五十回忌に、師匠の見性宗般、西宮市の海清寺の中原鄧州、虎渓山の村上無底の三老師を拝請して、三週間の摂心会を厳修した(p.300 玄峰老師略年譜)。そして更に復旧に専念し1920年(大正9年)には龍沢寺の庫裏を完成する。また前年の5月からは白隠所縁の静岡県沼津の松蔭寺住職を兼務して白隠の古道場の復興にも力を注いだ。松蔭寺兼任は1929年(昭和4年)の春、犬山の瑞泉寺住職になるまで続いた。1921年(大正10年)には東京小石川の龍雲院白山道場に正道会(正修会)を開く。後に法を嗣ぐ中川宋淵が山本玄峰に出会ったのもこの会においてである。そして井上日召や田中清玄などが、山本玄峰に参禅したのもこの会であった。
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