結党から左右分裂までとは? わかりやすく解説

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結党から左右分裂まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:27 UTC 版)

社会党左派」の記事における「結党から左右分裂まで」の解説

結党時の社会党社会民衆党系や日本労農党系の右派中心執行部占められ左派はごく少数であったこのため片山哲芦田均内閣に対して党内野党立場に立つことが多く結果的に政権を失う原因にもなった。しかし芦田内閣末期昭和電工疑獄事件起きたことで、政見対す見識評価されることになり、さらに森戸・稲村論争後に左派鈴木茂三郎書記長に就任するなど発言権強まった。 この時期主な政治家以下のとおり鈴木茂三郎 - 片山芦田内閣に対して一貫して批判的だった。後に第2代委員長となる。「青年よ銃を取るな 婦人よ夫や息子戦場に送るな」の反戦演説で有名。後に彼の反戦思想は、羽生三七の手によって、非武装中立論へと発展した加藤勘十 - 戦前日本無産党結党し、「ファッショ反対」を訴え一貫して戦争反対した。片山内閣には批判的だったが、芦田内閣では労働相として入閣したサンフランシスコ講和条約賛成して左右分裂時は右派社会党属した再統一後統制委員長となる。 黒田寿男 - 芦田内閣予算案反対して社会党除名され労働者農民党結成した松谷天光光 - 黒田らと労農党結成するが、その後離党する。後に園田直との不倫の末、自民党移籍した。直の前妻息子博之骨肉の争い演じた太田典礼 - 日本共産党社会党経て労農党参加した老人障害者への安楽死自殺堕胎断種などを積極的に促す発言物議を醸した足立梅市 - 1948年社会党除名され1951年和田敏明と共に社会党再建全国連絡会結成した。自らを「愛国主義」、保守政党社会党右派を「売国奴」と主張し社会主義政党として社会党再建と、労農党日本共産党との統一戦線構築目指した。 戸叶里子 - 橋本登美三郎日本民党出身で、所属派閥河上丈太郎派と、元々は右派連なる経歴だが、後に左派見なされるうになる国会キス事件追及売春防止法制定などに尽力した深沢義守 - 日本農民組合出身日農分裂時は統一派に所属した右派平野力三らと対立し日本共産党移籍した鈴木東民 - 日本共産党から労働者農民党移籍読売新聞社労働運動主導、後に釜石市長、釜石市となった

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結党から左右分裂まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:57 UTC 版)

社会党右派」の記事における「結党から左右分裂まで」の解説

1945年9月日本社会党は、翼賛体制に距離をおいた社会民衆党系が中心となって日本労農党系、労農党系まで結集する新政党として誕生するが、その後公職追放によって、日本労農党系の政治家のほとんどが政界から追放された。1947年総選挙日本社会党第一党になり、片山政権誕生する片山哲首相西尾末広官房長官など、社会民衆党西尾派)系中心に党務政権運営される片山芦田政権時代社会党中心人物であった西尾末広平野力三公職追放めぐって対立したり、西尾献金事件昭和電工疑獄事件(後にともに西尾無罪確定)などによるダーティーなイメージがもたれるようになり、党内外で急速に支持失っていった。 また、日本共産党指導強かった終戦直後労働組合多くが、民主化運動民同)によって現実化し労働組合社会党左派強力な援軍となったことから、党内基盤左派強くなっていく。 この時期主な政治家以下のとおり片山哲 - 初代委員長キリスト教社会主義立場をとった。首相経験者でもある。再軍備反対憲法擁護訴えた西尾末広 - 片山哲時代書記長1942年昭和17年)の翼賛選挙では、「お国のためには血を流せ」と訴えたが、非推薦貫き翼賛政治反対続けた1960年日米安全保障条約賛成し民主社会党民社党前身)を結成初代委員長務めた松岡駒吉 - 日本労働総同盟全日本労働総同盟会長歴任戦後政界転じて衆議院議長務めた水谷長三郎 森戸辰男 平野力三 - 戦前農民運動活躍し一時期在郷軍人会協力するなど独自の活動知られた。戦後片山内閣農林大臣務めるが、公職追放取り扱いめぐって農相罷免されるこの影響平野系が社会党脱党し社会革新党結成した鈴木善幸 - 社革党から民主自由党転じ、後に自民党総裁首相となった山口シヅエ - 売春防止法制定尽力1967年自民党移籍した加藤シヅエ - 加藤勘十の妻。優生保護法制定尽力その後離党し保守派転向新生党新進党支持者となる。女性のための政治スクール名誉会長務めた

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