結党とMMD政権成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 09:45 UTC 版)
「複数政党制民主主義運動」の記事における「結党とMMD政権成立」の解説
ザンビアは1964年10月24日の独立以来、初代大統領のケネス・カウンダ率いる統一民族独立党(UNIP)の支配下にあったが、慢性的な食糧難や経済的苦境、更にはUNIP一党制のもとでの汚職・腐敗などにより、次第にUNIPに対する不満が募っていった。1980年代からストライキや暴動が相次ぐ中、他の政治組織と同盟し、UNIPを排除した政権樹立の中心的な地位を占めたのが、フレデリック・チルバである。チルバは反カウンダの旧UNIPメンバーや労働組合の支持を得て勢力を拡大、カウンダに対し、複数政党制の導入を求める急先鋒となった。国際社会からの圧力もあり、1990年、カウンダ政権は複数政党制導入を認めた新憲法を制定。それに伴ってチルバは複数政党制民主主義運動(MMD)を結党、UNIP体制に対する最有力野党として機能することとなった。 1991年、独立後のザンビアとしては初となる複数政党制の大統領選で、チルバは81%の得票を得てカウンダを圧倒。また同時に行われた議会(定数158)選でも、MMDは直接選挙枠150議席中125議席を獲得し、政権交代が実現した。 大統領就任後、チルバは多額の債務を抱える世界銀行や国際通貨基金(IMF)の指導の下、経済の自由化を推進した。主要産業である鉱業(特に銅)において、その傾向は顕著に見られた。政治的にも、UNIPの一党制廃止で更なる民主化の実現が期待されたが、政権に就いたMMDは強権姿勢を強め、UNIPを含む野党を弾圧した。それに対し、イギリスやデンマークなど先進国の一部は、ザンビアに対する援助を停止している。
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