結党と独立運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:02 UTC 版)
1926年8月15日、キプロス人共産主義者たちによりキプロス共産党として設立された。これは単にイギリスの植民地支配による搾取に対する闘争だけにとどまらず、究極的には植民地支配からの解放・独立を目標としたものだった。1931年、植民地政府はキプロス人の民族主義的暴動を契機に、キプロス人の市民権を制限するようになり、キプロス共産党も非合法化された。以後、キプロス共産党は地下活動を余儀なくされたが、1941年には他の共産主義グループと共に労働人民進歩党(AKEL)を設立した。 非合法化されているにも関わらず、AKELは1943年に初めて実施された地方首長選に候補者を出し、リマソール市長とファマグスタ市長のポストを獲得した。しかし1948年頃からエノシスと呼ばれる、キプロスのギリシャ帰属を求める運動が過熱し、反英運動を繰り広げた。その指導者マカリオス3世は、正教会の権威を回復すべく、AKELをはじめとする共産主義運動をも駆逐しようとしていた。これまでの共産主義者はエノシスに反対していたが、AKELは取り立てて反対してはいなかった。 AKELは漸進的にキプロスを独立へ導く事に主眼を置き、当面は植民地統治下で独自憲法と自治政府を持つことを目標としていた。だが1949年の諮問議会でキプロス人議員にとって許容できるような憲法案が採択されなかったことを契機に、AKELは急進派に転じる。これまでの段階的な独立という政策を放棄し、即座にエノシスを実現するよう主張し始めたのである。
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