結党と第二次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:39 UTC 版)
「イタリア自由党」の記事における「結党と第二次世界大戦」の解説
1919年に、普通選挙が導入され、イタリア社会党とイタリア人民党という2つの大衆政党の台頭をゆるした。それによりリベラル派は1922年、ジョリッティ、アントニオ・サランドラ、ヴィットリオ・エマヌエーレ・オルランドを擁して自由党を結党した。1924年の総選挙では、ジョリッティの呼びかけによりベニート・ムッソリーニファシスト党などとともに政党連合、国民ブロックを設立し、ファシスト党を議会における少数政党から多数政党へと変貌させた。ムッソリーニがルイージ・ファクタから政権を奪取すると、自由党は1925年に禁止され、多くのリベラル政治家は、形だけの政治的役職を与えられた。 自由党は1943年にベネデット・クローチェによって再結成された。クローチェは反ファシストであったにもかかわらず、ムッソリーニ政権下でも自由に行動する事ができた。第二次世界大戦終了後、リベラル派のエンリコ・デ・ニコラが「暫定国家元首」となり、1945年から1948年にかけて経済大臣兼イタリア銀行総裁としてイタリア経済を再構築したルイージ・エイナウディがイタリア大統領に就任した。
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