結党から片山内閣へとは? わかりやすく解説

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結党から片山内閣へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:21 UTC 版)

日本社会党」の記事における「結党から片山内閣へ」の解説

日本社会党1945年第二次世界大戦前の非共産党系の合法社会主義勢力大同団結する形で結成された。右派社会民衆党社民)系、中間派の日本労農党(日労)系、左派日本無産党(日無)系などが合同したもので、右派中間派は民主社会主義的な社会主義観を、左派労農派マルクス主義的な社会主義観をもち、後に分裂して民主社会党(後の民社党)を結成していく右派反共主義でもあった。日労系の中心的メンバーは、戦前社会主義運動の行き詰まり打開するために、天皇中心とした社会主義実現求めて軍部積極的に協力し護国同志会出身者中心に大政翼賛会への合流推進した議員多かった一方左派天皇制打倒目指そうとした者が多かった。なお最初結党動きは、終戦翌日西尾末広(後の民社党初代委員長)と水谷長三郎上京向けて動き出すころから始まり旧社民衆党議員中心となって動き出した結党当初党名は「日本社会党」か「社会民主党」かで議論となり、日本語名を「日本社会党」、英語名称を「Social Democratic Party of Japan」(SDPJ、直訳日本社会民主党)とすることで決着した。後に左派主導権を握るにつれ次第に「Japanese Socialist Party」(JSP直訳日本社会党)の英語名称使われるようになったその後再び右派発言力強くなり社会民主主義が党の路線となると、SDPJの略称が再確認された。 このように社民系、日労系、日無系の3派の対立戦前から引きずり、たびたび派閥対立起こした社会党結成加わった左派荒畑寒村は後に「社会主義とはまるで縁のない分子と、情実と、便宜のために作られたに過ぎなかった」と評しており、事実として結成懇談会では社会主義について全く触れられてはいなかった。ただこの派閥対立後述するように1959年右派(後の民社党離脱ベ平連運動後は自衛隊日米安保への賛否対立なくなっていくこととなり、この2つには反対一致して行きマルクス・レーニン主義社会民主主義かを巡るものに収斂していった。 なお、日労系は戦争協力したとして、指導者多く公職追放され、結党当初影響力を持つことが出来なかった。革新華族として知られ徳川義親侯爵など名望家を担ぐ思惑から、当初委員長空席とされ、初代書記長片山哲就任した(後に委員長就任)。 ポツダム宣言受諾により、大日本帝国憲法改正必要になると、各党から改憲案が出され社会党1946年2月23日社會黨 憲法改正要綱」を発表した民間憲法研究会案の作成にも加わった高野岩三郎森戸辰男等が起草委員となったが、3派の妥協産物といえる内容だった。社会主義経済断行宣言する一方天皇制存置する代わりに実権内閣議会に移す、国民生存権保証し労働義務とするなど、社会主義別にすれば、実際にできた新憲法にかなり近い内であったまた、新憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の規定および、27条で「休息」に言及したのは、帝国議会審議社会党主張反映され修正という。社会党案の独自性としては、社会主義経済明記してあるほか、国民投票による衆議院解散内閣総辞職可能にし、直接民主制要素強めていること、議会通年とすること、死刑廃止明記したことなどが挙げられる新憲法最初総選挙である1947年第23回総選挙比較第1党となり、その結果民主党国民協同党との3党連立内閣である片山内閣成立したが、右派重鎮であった平野力三農相公職追放巡って右派一部社会革新党結成して脱党したり、党内左派公然と内閣施政方針批判した党内対立はやまず、このため1948年片山内閣瓦解した西尾末広内閣官房長官左派入閣認めず左派事実上党内野党となっていた。それに続く芦田内閣でも社会党与党となり、左派一部入閣したが、最左派黒田寿男ら6人が予算案反対して除名されるなど、最右派と最左派切り捨てる結果になった昭和電工事件芦田西尾副総理逮捕される下野追い込まれた。12月3日除名され黒田らは労働者農民党結成1949年1月第24回総選挙では、48名に激減して委員長片山落選した総選挙敗北後第4回大会で、国民政党階級政党かをめぐって森戸辰男稲村順三との間でおこなわれた森戸・稲村論争は、その後左右対立原型となった。なおこの時には社会党性格は「階級的大衆政党」と定義されて、決着した1949年8月には、さらに左派から足立梅市らが除名され社会党再建派組織した

※この「結党から片山内閣へ」の解説は、「日本社会党」の解説の一部です。
「結党から片山内閣へ」を含む「日本社会党」の記事については、「日本社会党」の概要を参照ください。

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