結党から1994年まで
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「社会党 (オランダ)」の記事における「結党から1994年まで」の解説
1971年10月22日、オランダ共産党(マルクス・レーニン主義派)(KPN/ML)というマオイスト政党として設立。結党当初は中国共産党との関係が深かったが、翌1972年には社会党と改名。この間階級闘争の主体を知識人および学生とするかプロレタリアートに据えるかで白熱した議論が行われ、後者の方針が採られることとなった。 強力な地方組織に裏付けられた地域政党としてネットワークを構築すべく、自前の開業医のオフィスを構え市民相談を行ったほか、独立系の労働組合や環境保護団体をはじめ党の前衛組織も多数生まれた。この結果、オスや北ブラバント州などの自治体で地盤を築くことに成功した。 「人民」とりわけ労働者階級に密接した政策を展開することが多く、時には出版物が物議を醸すこともあった。1980年代に出したブックレット「外国人労働者と資本」は、外国人労働者の受け入れをプロレタリアートの階級意識を鎮める資本家の策略であると述べ公然と非難したものであった。プロレタリアート同士の内部分裂を防ぐ唯一の解決策として外国人労働者の同化や帰国促進を掲げており、これには社会党を「左の中央党」(当時の極右政党)と呼ぶ地方議員が出たほどである。 しかしながら地方議会に進出するにつれ穏健化。1977年以降第二院への進出を試みてきたが、同年を含め1981年、1982年、1986年及び1989年の各総選挙でいずも議席を得られなかった。1991年にはマルクス・レーニン主義を公式に放棄した。
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