福島第一原子力発電所事故における試算
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:13 UTC 版)
「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」の記事における「福島第一原子力発電所事故における試算」の解説
「福島第一原子力発電所事故の経緯」も参照 2011年3月に起きた福島第一原子力発電所事故では、3月11日夜以来原子力安全・保安院が、12日未明以来文部科学省が、多数試算してみていた。その試算では、福島第一原子力発電所のプラントデータを配信する緊急時対策支援システム(ERSS)のデータが使用不能になっていたため、放射性物質放出量の条件については仮想事故データなどの仮定を入れて、実際の風向きなどでの20~100km四方程度の地域について一定時間後の各地の大気中濃度、地表蓄積量などをSPEEDIで出して配信した。 SPEEDIは100億円以上かけて開発され、事故後5,000枚以上の試算結果があったとされるが「試算なので国民の無用な混乱を招くだけ」と判断されたため、一般国民に情報公開されず、自治体が住民避難を計画する参考にも供されなかった。情報を非公開としたことにより、放射性物質の飛散方向と同じ方向に避難した住民を多く発生させてしまい、強い批判を受けた。 情報を非公開としたことについては、後に日本国政府が「パニックを避ける」ことを優先させすぎたが故の誤判断だったと認め、謝罪している。しかし、事故直後の3月14日に、文部科学省は試算結果を外務省を通しアメリカ軍に提供していた。 また、原発立地地域の住民に対する従前の説明では、万一の事故時の避難に際してはSPEEDIのデータを活用する前提であると説明していたことが、明らかになっている。 情報公開を求める声が多く、3月23日に一部が公開されたが、国会で全容の公開が強く求められた結果、5月になって試算結果が関係省庁のサイトに揃って公開された(#外部リンク 参照)。 2011年9月2日、原子力安全・保安院は3月11日の事故以後の緊急時対策支援システム(ERSS)による事故進展予測試算結果を公表した。それによれば全電源喪失による原子炉停止から1号機では15時間22分後、2・3号機では8時間35分後の炉心溶融を予測し、さらに格納容器過温破損とその後1時間後、5時間後、10時間後の放射性物質の放出率(Bq/h)や環境中の残存量率(Bq)を予測した。 また1号機の予測結果を基づき、SPEEDIでの放射性物質の拡散予測・試算なども行っていたが、総理大臣官邸危機管理センターには2・3号機の緊急時対策支援システム(ERSS)の予測を送付しただけで、SPEEDIでの放射性物質の拡散予測結果は報告していなかった。原子力安全・保安院で解析した45件もそのうち2件のみしか送付しなかった。 送付しなかった理由は分からないが、SPPEDIの結果を使うという思いが至らなかった。問題があったとしている。危機管理センターに送付された結果は官邸でどのように生かされたかは全く分からないし、保安院から官邸側に説明が行われた形跡もないとし、情報が適切に伝わらなかった可能性を認めている。1・3号機の予測値は9月2日に初めて公表された。 一方、2011年6月17日の参議院東日本大震災復興特別委員会にて、自由民主党の森まさこが、高木義明文部科学大臣に対して、3月12日にSPEEDIの算出結果を公開しなかったことを質問したところ、高木は「現地情報がないため計算できなかった」と答弁したが、保安院の指示で文部科学省所管の原子力安全技術センターが計算していることをさらに問われると、「計算していることを私は知らなかった」と答弁した。 2012年3月3日の中国新聞によると、2011年3月15日、政務三役らが出席した会議において、SPEEDIの計算結果を高木らが見て「一般には公表できない内容であると判断」し、他のデータを用意することになったという。 このときは、原子炉内の全ての放射性物質の放出を想定し「関東、東北地方に放射性雲が流れるとの結果が出た」と広範囲な流出も予測したという。文部科学省が最悪の事態を想定し、計算を繰り返していたことが明らかになった。なお、翌16日の三役会議において、文部科学省はデータの提供に徹し評価はせず、今後は原子力安全委員会が公表すると、鈴木寛副大臣が提案し合意されたという。
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