石造物
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宮方塔、十三塚(三体)他 佐野原神社に保管される記録によれば、祭神である二条為冬の将軍塚のほか、竹之下の合戦で討死にした二条為冬らを祀ったとされる石塚が13存在していたと伝えられ、これらを「十三塚」と総称する。周辺環境の宅地化などにより一部は移転し所在不明となったが、神社境内には五輪塔や宮方塔等とよばれる一連の石塚が現存しているほか、個人の私有地にあることが確認されている。『南朝忠臣碑文集』によれば、1876年(明治9年)に神社境内に祠を建てて為冬を祀り、1882年(明治15年)には伝手を頼って有栖川宮二品親王から扁額を賜った。為冬に従った従者の墓である十数の墓石が神社周辺の田の間に点在していた。 佐野原神社宝物殿 佐野原神社拝殿 平松公民館 平松公民館広場と神社碑
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石造物
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「長良神社 (館林市代官町)」の記事における「石造物」の解説
神社標柱 高さ1.78m、約26cm角の石柱で、二の鳥居の傍にある。 次の文字が刻まれており、当社が天福寺境内にあり住僧が別当を務めていたことを示している。 表面: 当所鎮守長良大明神、十八町惣氏子上野国邑楽郡佐貫荘館林恵日山天福寺三十五代範英干時天和第二歳(1682年)竜集壬戌夏五月吉祥施主鳥輪敬白 十八町は当時の館林の町数で、全町を意味する。 石鳥居 - 2基 1基は嘉永5年(1852年)の建造で、明治に併合した足利町の琴平宮から移された。 1基は1928年(昭和3年)11月、大典記念として建設された。 常夜灯 - 5対および1基 「天保二年(1831年)、金毘羅大権現」と示されたものは足利町琴平宮から移された。 「文化二年(1805年)大神宮」と示されたものは新紺屋町神明宮から移された。 他、「元禄十二年(1699年)五月」「文政元年(1818年)」「安政二年(1855年)九月」などと記されたものがある。 唐獅子、高麗犬 - 2対 手水石盥 「元禄六年(1693年)五月長良大明神宝前」などと刻まれている。 躑躅分植の碑 高さ2.1m、幅89cmで参道北側にあり。元々は1886年(明治19年)足利町琴平宮に建てられたが、同神社の併合の際に移された。左下に「明治四十四年六月壱日建設、当町神社併合委員」と追刻されている。
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石造物
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慈照寺参道脇六地蔵石幢 参道と中央線の踏切が交差する地点の北側に位置する。総高は240センチメートル。当初の部材は中台・笠・礎盤で、宝珠・笠、六地蔵が六隅に浮き彫りされた龕(がん)は後補。中台の上面には龕の六本柱を支える穴が施されている。 山梨県内の六地蔵石幢の多くには銘文が見られないが、慈照寺参道脇六地蔵石幢には笠の請花・反花の間に十数行の銘文が確認される。銘文は風化により「得」「永」「経」など一部の文字のみが判読できる。
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石造物
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又六庚申塔 元々春日町3丁目33番に建てられた、「享保2年(1717年)霜月十日」「中宮村 講中 十三人」「親講鹿嶋又六」と刻まれた石造物。又六の実在を証明する遺物ではあるものの、安永9年(1780年)に出版された『武蔵演路』に登場する又六と同一人物と断定はできないと練馬区は紹介している。平成14年(2002年)時点では春日町4丁目16番9に移動されている。 練馬大根の碑 1940年(昭和15年)11月建立。全体の高さが464センチメートル。練馬大根育成者である又六を記念するために、又六の菩提寺である練月山愛染院山門口に建立された。題字は当時の東京府知事・川西實三による揮毫。「練馬大根碑」には「将軍綱吉が館林城主右馬頭たりし時 宮重の種子を尾張に取り 上練馬村の百姓又六に与へて栽培せしむるに起ると伝ふ」とある。基壇は持ち寄られた沢庵石によって作られている。 鹿島安太郎翁の顕彰碑 昭和41年4月建立。全体の高さが443センチメートル。練馬大根の碑の隣に建てられた。練馬大根の品種改良や栽培・加工の技術向上並びに普及に努めた鹿島安太郎(又六の子孫、明治16年 - 昭和41年)の碑。 愛染院の鐘楼 練馬区春日町四丁目にある愛染院の鐘楼は、元禄14年(1701年)に木村将監安継により造られた。平成17年(2005年)に練馬区の指定文化財に登録。鐘楼の礎石には沢庵石が使われており、当時の東京練馬漬物組合員149名が持ち寄ったもの。 又六庚申塔 練馬大根の碑 愛染院鐘楼
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