目黒山形関係資料とは? わかりやすく解説

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目黒山形関係資料

主名称: 目黒山形関係資料
指定番号 151
枝番 0
指定年月日 2007.06.08(平成19.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 2011
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 目黒山形関係資料は、伊予国(愛媛県)吉田藩目黒村宇和島藩二郎丸山境争論幕府裁許過程で、寛文五年(一六六五)に製作され山形模型関連する一括資料である。
 目黒村とその北の二郎丸山境争論は、明暦四年(一六五八春におこり両藩の対立となって寛文年三六日目黒村庄屋左衛門江戸へ出て幕府訴えた同年八月幕府絵図山形作ることを命じ、翌寛文五年八月には山形完成して江戸もたらされ十月十二幕府から裁許申し渡された。
 目黒山形は、争い地域立体的にあらわした木製模型で、六個に分割できる各部分を一材から標高あわせて彫りこみ、裏は内刳り施している。表面は、胡粉塗り、山は緑、耕作地などは黄土色彩色し樹木人家を描く。道は線、河川黒線あらわし、谷や尾根には胡粉地名など書込み貼紙わずかに残る。
 平面縮尺は、約五九〇〇分の一で、高さは東西海抜の差二三メートルをほぼ同一平面としていることからやや精度を欠くが、尾根筋からの比高はかなり正確で地勢はよく把握されている。
 敷絵図は、山形の下に敷いて周辺の地理を示す絵図で、山形と敷絵図が一体として現存する例はほかになく、この模型特徴である。
 裁許絵図は、寛文五年十月十二日に幕府評定所において両境界新たに定め絵図に墨線を引いて寺社奉行井上正利らが捺印し、裏に判決文である裁許絵図裏書記して目黒村与えた絵図である。
 文書・記録類は、正保四年(一六四七)以来林政にかかわる文書明暦四年からの山境争論経緯示した文書寛文五年幕府裁許にかかわる文書山形製作に関係する文書裁許以後山形及び関係文書保管にかかわる文書などからなり絵図製作にあたって花押血判をした血判起請文実地測量をした測量三八冊、縮尺換算した分縮帳三六冊などが含まれる。これらの文書は、幕府裁許後世伝え証拠資料として使用され、かつ保管管理されてきた過程物語っている。
 江戸時代前期立体地形模型は、西日本中心に数例が確認されているが、本資料はこれらのなかで、模型自体精度高く争論、製作、保管管理に関する文書記録類が一括して伝えられている点で、類例稀な資料である。具体例乏しく未解明な点が多い近世前期測量技術をうかがう上で貴重な学術資料であり、地理学測量技術史上、法制史特筆される資料である。

目黒山形関係資料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 07:53 UTC 版)

目黒山形関係資料(めぐろやまがたかんけいしりょう)は、江戸時代(1665年)に製作された立体地形模型とその関連資料。愛媛県北宇和郡松野町に現存する、藩政時代に作成された鬼ヶ城山系の立体模型と絵図面である。2007年文部科学大臣より国の重要文化財の指定を受けた(歴史資料部門では愛媛県内初)現在「目黒ふるさと館」に保管展示されている。宗教法人建徳寺(松野町目黒)所有。




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