琉球芸術調査写真とは? わかりやすく解説

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琉球芸術調査写真<鎌倉芳太郎撮影/>

主名称: 琉球芸術調査写真<鎌倉芳太郎撮影/>
指定番号 141
枝番 0
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 2080
時代区分 大正
年代
検索年代
解説文: 本件鎌倉芳太郎一八九八~一九八三。染色家沖縄文化研究家。のちの人間国宝)が、戦前沖縄県行った琉球芸術調査」に関わる写真とその関連資料である。
 鎌倉の「琉球芸術調査」は、第一次大正十三年(一九二四)五月から同十四五月まで、第二次大正十五年から昭和二年までと前後二回実施された。本件主として関わるのはそのうち第一次琉球芸術調査成果である。第一次琉球芸術調査伊東忠太一八六七~一九五四建築史家東京大学名誉教授文化勲章受章者)との共同調査という形式をとり、財団法人啓明会からの補助金受けて実施している。
 第一次琉球芸術調査において鎌倉は、尚侯爵家(中城御殿)、尚男爵家松山御殿)などにある琉球王家ゆかりの文化財をはじめ円覚寺崇元寺石垣島桃林寺などの寺院首里城、また首里那覇名家所蔵する工芸品絵画作品などを対象積極的に写真撮影を伴う調査活動行っている。
 撮影したガラス原板は四切判およびキャビネ判用いられており、紙焼付もまた同サイズ印画紙用い、それを大中小の各サイズ台紙貼りつけている。非常に高い技術駆使した撮影行っており、それ自体分高芸術性資料性とを併せもった作品仕上がっている。
 被写体には、琉球絵画史を考え上で無視できない歴代国王肖像画御後絵)をはじめ円覚寺壁画、また自了や殷【いん】元良などといった琉球絵師たちの作品現代伝え唯一の資料となっている。鎌倉はこれらの資料をもとに、琉球文化研究では必須のとなっている『沖縄文化遺宝』(昭和五十七年)に多用するなど積極的に紹介している。特に首里城写した鎌倉写真首里城昭和復元大きく寄与している。
 なお、特筆すべきは、鎌倉調査の対象物が今次大戦でほとんどが灰燼に帰していることで、消失文化財記録としてきわめて貴重である。
 附【つけたり】とした鎌倉の「調査記録」は撮影対象文化財に関する詳細な情報含み、かつ、琉球史上重要な史料類を抄写したり、琉球方言採録など総合的なものとなっており、これ自身多く研究素材提供する
 上述のように失われた琉球文化財後世永く伝える意味でも、文化財復元的な研究試み上で鎌倉資料なしには不可能であり、その重要さははかりがたいものがある。
 なお本資料は、鎌倉およびその遺族から戦後三度わたって沖縄県立芸術大学寄贈されたものである



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