生産・発射
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 13:22 UTC 版)
V2 は、ドイツ中部ノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、近くのミッテルバウ=ドーラ強制収容所収容者により生産された。その多くはフランスとソ連の戦争捕虜で、劣悪な環境の中、約10,000人が過労死したり警備員に殺された。皮肉にもこの数は V2 の攻撃による死者数を上回る。 最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊で、1944年9月2日、当時解放されたばかりのパリを攻撃すべく、ベルギーのウッファリーズ(フランス語: Houffalize)近くに発射基地を設営した。翌日には第485砲兵大隊がロンドン攻撃のためにハーグに移動した。数日間は打ち上げ失敗に終わったが、9月8日両部隊とも成功した。 続く数か月間に発射された総数は次の通り。 ベルギーに対してアントウェルペン - 1610 リエージュ - 27 ハッセルト - 13 トゥルネー - 9 モンス - 3 ディースト - 2 フランスに対してリール - 25 パリ - 22 トゥールコアン - 19 アラス - 6 カンブレ - 4 イギリスに対しロンドン - 1358 ノリッジ/イプスウィッチ - 44 地上部隊が爆破に失敗したライン川鉄橋を目標にルーデンドルフ橋(レマーゲンの鉄橋) - 11 オランダに対しマーストリヒト - 19 1945年3月3日、連合国軍はハーグ近郊の V2 と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みたが、航法誤差のためベザイデンハウツェ区域が破壊され、市民およそ500名の死者を出した。 V2 の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、命中精度は7 - 17 kmと現在の基準では実用的でないくらい低かった。コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音が存在するV1飛行爆弾と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存兵器では迎撃不可能なV2 は、ドイツにとって有用な兵器となった。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。最大射程320 kmで最大射程時に飛行時間は5分半で高度93.3 kmに到達した。発射されたミサイルのおよそ4%が発射後30秒間で故障した。およそ6%が弾頭の暴発やタンク爆発で空中分解した。また再突入時にも構造破壊で多数が失われた。結果、ロンドンへ向け発射された1152機中、到達したのは半分以下517機に過ぎなかった。アマトール爆薬が弾頭に使用された理由は大気圏再突入時の暴発を防ぎ、信頼性を高めるために低感度爆薬を選択しなければならなかったからである。一方、搭載された触発信管は高感度で連合国側で発見された不発弾頭はわずか2基のみだった。 反面迎撃不可能ゆえに、V2 攻撃阻止には発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツ敗北を早めた兵器とも言える。一方、同じ報復兵器のV1飛行爆弾は低速で迎撃可能な分、かえってそのために戦力を割かねばならず、戦略的には V2 より効果があったとも言える。V1飛行爆弾はV2ロケットのおよそ1/10の費用で開発、生産され、V2とは異なり、入手の比較的容易な燃料のみが必要で徐々に蒸発する極低温の液体酸素のような酸化剤は不要で、弾頭重量は850 kgあり、V2と比較し破壊力は遜色なかった。その結果、24,200機のV1が発射されたのに対しV2は3,500機発射で、V1は平均110機/日の発射に対しV2は16機/日の発射に留まった。実質的に与えた損害はV2よりもV1の方が多かったことが戦後の調査で判明している。V1の弾頭はV2の弾頭のように大気圏再突入による加熱がないため、暴発せず、V2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入して建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった。さらにV2は前触れなく突然落下するのに対してV1の発する特有の音は恐怖をもたらす心理的効果があった。 上記の欠点を嫌った軍需大臣アルベルト・シュペーアは、より小型で使い勝手の良い兵器の開発を望んだが、大型兵器による戦局打破にこだわったヒトラーに押し切られ、製造が続けられた。
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