現代神道学
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現代神道学においては、元史料を元にして議論が進められており、以下のような学説に落ち着いている。 葦津珍彦によれば、島地黙雷によって建白された「教導職治教、宗教混同改正ニツキ」の中にある、以下の文言によって生じたとする。当時の仏教者の主張によれば、戒律によらず、自らの説を主張する神道者は宗教とは言えないという事を表している。つまり、戒律が先にあって、その戒律の中で育まれたものが宗教であるという主張である。 そしてその説は、仏教者であった日蓮の以下の言葉でも裏付けられる。減劫御書にある「智者とは世間の法よリ外に仏法を行ず」と一致している。 原文 抑神道ノ事ニ於テハ、臣未タ之ヲ悉クスル能ハスト云へドモ、決シテ所謂宗教タル者ニ非ザルヲ知ル。(中略)朝廷百般ノ制度、法令、皆悉ク惟神の道ニ非ルハナシ。(中略)決シテ宗教ノ事ニ非サルヘシ。然ルニ神道者流之ヲ曲解シ、自家ノ説ヲ主張シ他説を圧伏セントス。 現代語訳 仰せの神道の事については、人びとは未だに万能であると言えども、決していわゆるところの宗教者ではないことを知っている。(中略)朝廷における様々な制度、法令は全て惟神の道ではない。(中略)決して宗教の事ではない。よって、神道者は流儀をもってこれを曲解し、自らの説を主張し他の説を圧迫しようとしている。 原文は、島地黙雷全集1巻所蔵の「建言 教導職ノ治教宗教混同改正ニツキ」である。 1898年2月22日に発出された内務省社寺局通達による「教宗派の教師は神社に於て布教するを得ざる件」の中における下線部以前の行為を禁じた事によるもの。具体的には、神社の布教禁止令である。 原文 教宗派ニ属スル教師ニシテ神社ニ於テ布教ヲ為ス者往々有之哉ニ相聞ヘ候処、右ハ神社ヲ以テ宗教ニ混同スルノ嫌アリ神社ノ管理上甚タ不都合ニ候間以後、神社ニ於テ右等ノ所業無之様取締方特ニ注意有之度命ニ依リ此段申進候 現代語訳 教宗派に属する教師にして神社において布教を為す者は往々にして居る、そしてこれを聴き及んでいる所である、右は神社を以て宗教と混同する嫌いがある、神社の管理上はなはだしく不都合である。以降、神社において右に示したような所業が無いようにこれを取締る方法、特に注意有りの都合上、この度命令によりこれを申しつたえる。 原文は、「法令全書 明治三十年」内に収蔵されている。及び、その成立に関する資料は「東京大学法学部研究室図書室」に所蔵されている「内務省神社局資料」などを参照されたい。 1882年に内務省が発出した「自今神官ハ教導職ノ兼補ヲ廃シ葬儀ニ関係セサルモノトス此旨相達候事」(内務省達第一号)により、神職を教導職からはずし、葬儀への関与を禁止することにした。神主には「神明奉仕」に専念させ、祭祀・儀礼のみを行わせることにしたのである。三条の教則によって神道的国民教化を図ってきたこれまでの方針からすれば、本来教導職の最も中心部隊であるべきはずなのだが、その神職には「国民教化はさせない」という一八〇度の方針転換をした。神社が葬式に関与しないのは、「神は汚れを嫌うからである」と、神道の太古からの慣習であるかのように述べられることがあるが、実際には幕末神道への改宗者を獲得していく上で神葬祭を行うことが大きな力になってきたものであり、現在でも教派神道は葬儀を執行するし、皇室神道においても神葬祭が行われている。この通達は、神主は「説教」をせず、日本人にとって宗教そのものである「葬儀」にも関与しないから、「神社は宗教ではない」という偽装理論を構築するための措置であった。神社非宗教論は国家神道を支える基本的論理であるから、この通達が国家神道体制の出発点であると考えられている。とする。 原文は、「法令全書 明治十四年」内に収蔵されている。 中島三千男によれば、非宗教・国家の祭祀・道徳というたてまえの下に「改変」させられた神社神道=国家神道 一 上は伊勢神宮から下は郷村社に至るまで、その活動を宗教ではなく国家の祭祀として位置づけ、そのことによって国家と神社との結合を合法化し、その上でこの神社体系を国家主義的・天皇主義的イデオロギーの国民への注入の媒体・装置として活用することを意図したもの。
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