現代社派の攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:19 UTC 版)
「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」の記事における「現代社派の攻勢」の解説
1999年(平成11年)6月4日、現代社派のテロ部隊が山田茂樹を襲撃、全身打撲で瀕死の重傷を負わせる事件が発生。山田は現在もその後遺症により、単独での歩行に困難をきたしている。赤砦社派はこの襲撃を受け、さらなる襲撃に備えるために明大学内サークル室に搬伸縮式鉄パイプや特殊警棒、金属バット類を搬入した。が、それを理由に警察が家宅捜索に入り、8日、中心メンバー17名が凶器準備集合罪で逮捕され、赤砦社派は危機的状況に陥る。ここで現代社派は赤砦社派の手薄に乗じ、12日、明大駿河台の学生部隊(=赤砦社派)に向け、現代社派は私服部隊で武装潜入をかけ、明大学生会館内の赤砦社派に握られていた革労協拠点の奪還を図るが未遂に終わる。 一連の現代社派の攻勢に対して赤砦社派は山田襲撃を「死を狙ったもの」と断定して、「無制限・無制約の革命的テロ」を宣言した。「死を狙ったもの」であれば、頭部のみを狙ったであろうから、山田に対する襲撃をそのように断定することは無理があるというべきだろう。だが、赤砦社派をしてそのような「過剰反応」を引き起こし、戦術的エスカレートを招いたのは、やはり1989年の解放派の歴史上初の同志殺しである永井啓之殺しの記憶があったというべきだろう。
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