清の反発と琉球復旧運動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 清の反発と琉球復旧運動の意味・解説 

清の反発と琉球復旧運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)

琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「清の反発と琉球復旧運動」の解説

松田道之から進貢そして冊封使受け入れ禁止命じられ琉球側は、松田帰京同乗して上京した三司官池城親方らが清との関係継続求め請願活動展開した池城親方らは明治政府に対して嘆願書提出繰り返し更には政府高官直接嘆願行為繰り返した池城親方らの嘆願は全く効果見られず、1876年5月には太政大臣三条実美の名で、池城親方らの退京命令出された。しかし琉球側は替わり三司官富川親方らを上京させ、嘆願行為止めなかった。 その一方で1874年進貢船以降琉球朝貢活動停止したために、まず1875年派遣予定であった接貢船福州到着しなかった。そして前述のように光緒帝慶賀使派遣されて来ない。琉球側の異変感じ取った福州側から接貢船不着慶賀使の未派遣について事情尋ね文書届けられた。まず琉球側は明治政府文書回答したいとの要請行ったが、回答許されなかった。明治政府対す嘆願不調のままで、更に清側から事情確認する書状対す返答拒否されたため、琉球側は清に密使派遣して窮状訴えることにした。 密使代表者尚泰の姉の婿である向徳宏であった。向らは1877年3月福州到着すると、早速清側に琉球窮状について訴えた情報入手した清は、清側は北京駐在日本公使に対して抗議を行うとともに初代駐日大使として赴任する何如璋日本側と交渉することになった東京赴任した何は、早速日本側に琉球進貢禁止した措置について激しく抗議した何如璋在京中の琉球関係者とも連絡取り合い、ともに琉球進貢禁止措置撤回向けて粘り強く運動続けた。しかし日本側は琉球問題日本内政問題であると、何の抗議に全く取り合わなかった。またかつて琉球条約締結したアメリカフランスなどの駐日公使に対して三司官請願書提出した請願書日本政府が行った進貢慶賀使などの遣使の禁止清からの冊封使受け入れ禁止撤回要求し以前日中両属状態に復帰出来るよう影響力発揮するよう働きかけていた。しかし各国とも琉球側の立場同情示しながらも、結論としては日本措置黙認した日本側は琉球これまで行ってきた進貢や清側から冊封使派遣は実がないものである主張した。そして薩摩藩主の代替わりに際して藩主琉球国王三司官が、薩摩藩法令制度に従う旨の起請文提出してきたこと、薩摩藩租税支払っていたことを日本による琉球実効支配の例として示した結局1879年3月27日処分官に任命され松田道之首里城で藩を廃し沖縄県とするとの琉球処分宣告した4月4日には公式に沖縄県発足公表される琉球処分時、清に派遣され密使向徳宏らは、最後進貢使であった毛精長とともに福州琉球館滞在していた。規則では琉球人北京進貢時以外は福州周辺のみの活動し許されていなかったが、琉球王国滅亡知らせ受けて多く琉球人北京方面向けて移動し琉球王国復活に向けて李鴻章など清の要人らに対し運動を開始する。この運動琉球復旧運動呼んだ清国内で琉球復旧運動が行われている中、沖縄からはしばしば清へ密航し武力行使含めた清の介入嘆願する動き続いた。しかし1880年代後半以降になると琉球復旧運動主導してきた向徳宏や毛精長らが相次いで亡くなるなど、運動徐々に下火になっていった。結局琉球復旧運動1895年日清戦争で清が敗北することによって終焉迎えていく。

※この「清の反発と琉球復旧運動」の解説は、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の解説の一部です。
「清の反発と琉球復旧運動」を含む「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事については、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「清の反発と琉球復旧運動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「清の反発と琉球復旧運動」の関連用語

1
2% |||||

清の反発と琉球復旧運動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



清の反発と琉球復旧運動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの琉球の朝貢と冊封の歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS