清の内憂外患に翻弄される琉球の進貢とは? わかりやすく解説

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清の内憂外患に翻弄される琉球の進貢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)

琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「清の内憂外患に翻弄される琉球の進貢」の解説

1851年、清で太平天国の乱起きる。洪秀全リーダーとする太平天国は「滅満興漢」をスローガンとして広範囲勢力範囲広げた影響1852年派遣され進貢使から顕著となる。まず1852年進貢使は乱のあおりを受けて北京到着が遅れ、そして北京からの帰途江蘇省1年余り動けなくなってしまい。1854年5月になってようやく福州辿り着いた1854年進貢使はもっと深刻であった福州滞在していた進貢使に、今回はあえて北京へ来る必要はないとの命令下された驚いた進貢使は北京行き進貢義務果たしたい懇願したその結果北京行き認められたものの通常より約1年遅れの北京到着となり、しかも移動中は清側から護送人員付けられ、特に太平天国軍の勢力範囲近く通過する際には警護人員手厚く配するという措置取られた。1856年1858年進貢時も問題変わらず軍事情勢を見ながら多く兵員配して琉球進貢使を護送し通常のスケジュールから大きく遅れながらも何とか進貢を行うことができた。 琉球側は清国内の情勢険悪な中、なんとしてでも清への進貢義務を果そうとした。大乱中にこのような外国使節対す護送を行うことは清にとって大きな負担であり、担当役人サボタージュなどの問題発生した。しかし欧米諸国からの外圧晒され大乱発生して危機に立たされる中で、清としてもこれまでの国家間関係の維持を図らなければならなかった。 しかし1860年1862年進貢使は北京へ向かうことが出来なかった。1860年太平天国の乱加えてアロー戦争影響加わったためである。1860年イギリスフランス軍北京占領して咸豊帝北京から熱河逃げ出すという深刻な事態であり、進貢どころの話ではなかった。それでも琉球進貢使は北京行き懇願し続けたものの、清側は認めことなく帰国せざるを得なかった。1862年場合は、アロー戦争終結していたもの太平天国の乱継続中で、清当局から北京行き許可下りず、やはり再三北京行き懇願したものの認められずに帰国余儀なくされた。 ところで太平天国の乱拡大見て琉球側は乱の成り行き重大な懸念抱いた太平天国側が勝利して王朝交代となる可能性考慮せねばならなくなったのである。乱に対す見舞い使者清に送るかどうか、そして乱に対する対応が琉球王朝首脳部の中で話し合われた。その結果1853年接貢船安否を尋ねる書状託し福州側の意向聞いて提出可否判断することになったその結果良いでもないのに安否を尋ねる書状提出するのはかえって良くないとの判断を受け、提出見送られた。琉球にとって清への忠誠守り続けことより中国王朝との関係の維持継続が重要であり、王朝交代起きた場合新王朝太平天国)との関係構築が必要との判断となった。 また琉球福建当局からも難題吹っ掛けられていた。外国からの干渉内乱苦しめられた清の中央政府厳し財政難見舞われていた。そこで各地方軍事費自弁するよう求めざるを得ず貨幣発行各省与えることにしたのである福建省貨幣の発行始め財政的に潤ったものの不足で発行継続危ぶまれる事態陥ったそのような中で琉球が常貢として朝貢していることに目を付けた1856年福建当局琉球求めてきたのである当初琉球側は断ったものの、福建当局支援無し進貢続けていくことも難しい。結局調達薩摩藩依頼し琉球国内でも銅器供出進め、何とか福建当局引き渡すことが出来た

※この「清の内憂外患に翻弄される琉球の進貢」の解説は、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の解説の一部です。
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