清のサン・ド・ブフ
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「サン・ド・ブフ釉薬」の記事における「清のサン・ド・ブフ」の解説
サン・ド・ブフのような単色釉薬は、明朝や宋朝 (960–1279)の歴史的な中国陶磁器を最高のものとして復古を試みた清朝において、人気が復活した。これらは宮廷向けのものとして、既存のものとは完全に異なるスタイルで。景徳鎮で製造された。粉彩、緑の素三彩などの後世に開発された、主調色に基づいた配色を色絵(英語版)に用いる精巧なデザインを採用している。当初、これらの多くは売り物として生産されており、中国の輸出磁器(英語版)として宮廷からはよりシンプルな装飾が望まれていた。 宣徳帝の「捧げものの赤」はごく僅かにまだらな覆い方だったので、サン・ド・ブフは様々な影や色の種類がある。釉薬のまだら模様や縞模様は器の上の方では白く消えていくことが多いし、逆に花瓶の肩から足の部分にかけてはやや厚くなる。足は釉薬に覆われきっていないことも多い。また、薄く釉薬のかかった部分にはクラクリュールや、緑がかった色合いが見られることもある。これらはすべて望ましい効果と考えられていた。通常、釉薬は閉じた形状の外側にのみ使用され、内側やリムには透明な釉薬のまま残る。赤い釉薬はおそらく吹付けられたと考えられる。他にはターコイズ、ラベンダー、パープル色が現れうる。 非常に敏感な変数が多数あるため、最初は釉薬の色と効果をろくに制御することができず、そのランダム性は中国の美学にも影響を与えた。18世紀後半までは、より確実な制御ができるようになった。 酸化銅ピーチブルームが施され、龍の装飾が刻まれた景徳鎮の器。 康煕帝代の器、1722年以前。 康煕帝代の花瓶、1722年以前。 康煕帝代の花瓶、1722年以前。 18世紀の壺。
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