流派の伝承とは? わかりやすく解説

流派の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 16:52 UTC 版)

天眞正自源流」の記事における「流派の伝承」の解説

天眞正自源流兵法は、飯篠家直創始した新當流天真正伝香取神道流)の道継であり、十瀬(小瀬)与三左衛門長宗瀬戸口備前之守政基)が、創始した流派である。十瀬与三左衛門長宗は、常陸大田(茨城県)、佐竹氏一族分系の小瀬とされる関ヶ原の戦いの後、徳川時代となり太平の世となるも、国境接す肥後薩摩互いに剣術はじめとする様々な武術取り入れていた。十瀬与三左衛門長宗肥後対抗するために薩摩藩召し抱えられたものと考えられ瀬戸口氏の養子となっている。十瀬与三左衛門長宗は、その後改名し瀬戸口備前之守政基を名乗ることとなる。瀬戸口氏は大隅国姶良郡蒲生正八幡若宮社社家とされる開祖瀬戸口備前之守政基が薩摩渡り定住したのが永正年代の頃である。伝書に於いては瀬戸口備前守薩州王滝に於いて流儀奧秘開眼した事が伝えられている。伝書多く天眞正自顕流の名で残されており、天眞正自源流記された物は少なく、十瀬与三左衛門長宗瀬戸口備前之守政基)が天眞正自顕流から天眞正自源流と名を変更したのは晩年のころと推測される瀬戸口備前守成立させた流儀思想技術は、29代宗の手元に伝承されている三巻伝書、『尊形』・『察見』・『聴書』である。『尊形』には流儀技術全容網羅されており、『察見』には流儀思想兵法明記され、『聴書』には先師教え示されている。 『聴書』に於ける先師教え流儀全ての根本となるところから本来、流祖となるべき瀬戸口備前守開祖にして流儀名称の確定となった所以である。 天眞正自源流兵法は、その譜代継承に於いて時代応じた術理を擁立して今日至っており、流儀に於いて行われる剣法居合体術等は、最古遺産である「天眞刀」・「天眞剣」・「天地人陰陽五段之法形」に始まり瀬戸口備前守制定したとされる剣術組太刀である十二箇之太刀初めとする52法形根本としている。又、戦場合戦時の野太刀兵法、更に槍術長巻小太刀等の法形伝承されている。 流派内の伝承では流派の名前を口にするだけでも門下暗殺をされるなど、存在秘匿されていたとされ、そのため、天眞正自源流存在確認されたのは明治期以降となっているとされている。

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流派の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:54 UTC 版)

武蔵円明流」の記事における「流派の伝承」の解説

以下に武蔵円明流に伝わる流派歴史を記す。 流祖宮本武蔵政名岡本馬之助祐実改名)は、兄・宮本武蔵義貞(岡本小四郎政名/改名とともに宮本武蔵玄信師事した武蔵円明流伝書には、宮本武蔵玄信青年時代当理流養父宮本無二之助 円明流から分派)から独立して二刀兵法の兵道鏡円明流を創流しその後門弟宮本武蔵政名へ兵道鏡円明流極意伝授した記載されている。宮本武蔵玄信を祖とする他の流派について二天一流円明流二天流参考武蔵円明流と兵道鏡円明流の原祖は、円明流流祖俊乗房重源俗名:紀刑部左衛門尉重定)とされる源義経は、鞍馬天狗大僧正(一演僧正)を師として、鞍馬流修業し鞍馬山封ずる所の兵書数巻を得、後に義経流を創流した重源鞍馬天狗大僧正(一演僧正)の弟子技芸達人であつた。重源は、義経より極意伝承され円明流を創流したと伝わる。伝書では俊乗房重源は、後に義経流を陰流改めたとされる当流に伝わる、武蔵円明流剣脈図に愛洲移香斎久忠(愛洲陰流)と元香斎小七朗宗通(陰流)、上泉伊勢守信綱新陰流)の名がある当流武蔵円明流口授書に次のように伝わる。 宮本武蔵政名は、父兄(岡本家子孫現存)の流意を相続し則ち武蔵円明流と号す。もっとも岡本家伝来には新右衞門義次より伝わるところの十手刀術法則含み兄・宮本武蔵義貞(岡本小四郎政名:改名)の武蔵流奥義岡本流体術のすべての奥義に至るまでの次弟相伝す。是れを以って父 新右衞門相伝十手の道より、初め手本無刀趣意根元立て、兄・武蔵義貞より太刀打ちの術にうつされしところの意味審びらかにうつす。是を以って岡本家に於ては小太刀の術もっとも是を重んず宮本武蔵政名6代孫:岡本兵衞正諠(武蔵円明流初世宗家)は、元文寛保鳥取東軍流師範井村九朗三郎試合をして勝った井村潔くを措いて今まで行ってきた無礼詫び直ち入門した。 この話はまたたくうち城下広がり、正諠の武名大いにあがったので鳥取藩召し抱えられた。これにより、武蔵円明流鳥取地方伝えられた。岡本兵衞正諠は、父照方祖伝来の武蔵円明流とともに、父が修めた岡本流体(胎)術、二刀之術、一刀之術、小太刀之術、抜刀居合之術を合わせて武蔵円明流大成させた。 巌流免許有する小谷成福は、鳥取岡本兵衞正諠と試合をして敗れた小谷は、岡本兵衞正諠の弟子になり、後に「岡本の八士」と呼ばれる8人の高弟一人となった岡本兵衞正諠の没後武蔵円明流は、文之丞時敬、松井源太夫満雄、藤田(一貫流分派)、広沢清蔵井村九朗三郎小谷左衞門成福、寺島左衞門井尻武左衞門などの系統伝えられ鳥取藩隆盛した。

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