流派の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 03:36 UTC 版)
島袋は1956年(昭和31年)に「一心流」を興し、その組織を「一心流空手道協会」とした。一心流は宮城・喜屋武の技法を折衷したもので、現在の剛柔流と少林流の技法原理を巧みに活用している流派である。さらにそこに流祖の独自の武眼で編み出した諸技法を加えている。一心流には独自の技法があり、正拳の側腹に構えた握拳は普通上に向けられているが、一心流では握拳を側腹に向ける。拳のひねりを緩め、上腕の緊張を少なくし、自然に正拳が真っすぐ出るようになっている。柔道の嘉納治五郎の説く「精力善用」の物理を実用化したようなものである。また一心流には剛柔流や少林流には見られない独自の型が存在する。それはスンスー」と呼ばれるもので、スンススーという屋号にちなんで名付けられた型であり、一心流では高度の型である。編集者は島袋である。一心流の体系は主としてセイサン・セイユンチン・ナイハンチ・ワンスー・サンチン・チントー・クーサンクー・スンスーから成り立ち、それに組手と古武道が加わって技法の全体像となる。1956年に設立された「一心流空手道協会」は流派が国際的に普及発展した状況に適合するように「一心流国際空手道連盟」に改められた。流祖の衣鉢を継ぐのは長子 島袋吉郎(範士十段)である。大学出の知性派としで「君子の武道」を地で行き、宗家2世として世界諸国を飛び回って700余の支部道場の統括指導に忙殺される身である。島袋龍夫は沖縄の米国陸海空軍と「空手指導契約」を結び、将兵達を指導することになった。1950年代後半からである。嘉手納・金武・辺野古・瑞慶寛・普天間・牧港等の基地内道場や自分の道場で教えた。将兵の指導料は無料で、それぞれの部隊の司令部が支払った。この制度が多くの将兵を指導者に仕立てた。この契約事務を推進したのは仲村清(総合結婚式場・レストラン「キャッスルハイランダー」(代表取締役社長)である。沖縄の空手の国際間化の一端を担った功労者である。かくして、沖縄空手の国際化の本格的な推進役となったのが、こういう米国軍人達であった。このことに1960年前後、上地流も参画した。島袋龍夫は寡黙に徹し、言葉数の少ない武人であった。温厚篤実な人で、「来る人を拒まず、去る者追わず、その背中に幸せを祈って手を合わせる」という仁義の人であった。戦前戦後、心技一体の境地を求め続けた拳聖 島袋龍夫は1975年(昭和50年)5月31日に、後事の全てを長子 島袋吉郎に託し、生涯の幕を閉じた。行年67歳。
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