池田信用組合理事長就任から即席ラーメン開発編とは? わかりやすく解説

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池田信用組合理事長就任から即席ラーメン開発編(昭和32年 - 昭和33年夏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:35 UTC 版)

まんぷく」の記事における「池田信用組合理事長就任から即席ラーメン開発編(昭和32年 - 昭和33年夏)」の解説

萬平理事長就任してから8年一家池田市内の一軒家安定した生活を送っていた。そして子供学齢期になり暇をもて余す様になった福子近所パーラーパートタイマーとして働き始めていた。ある日女学校時代からの親友桑原敏子から、知り合い町工場織田製作所」への融資萬平に頼むよう依頼される織田製作所が「万能調理器」(ミキサー)を開発中であることを知った萬平は、100万円の融資即決しただけでなく、毎日定時退社して織田製作所通い開発協力没頭する。しかし池田信組合親銀行である梅田銀行から神武景気終了を受け、全ての融資案件停止するよう通告される。萬平織田製作所融資継続させたいため、自宅土地建物担保入れることを鈴と福子提案。鈴は猛反対するが、福子萬平の本来やりたいことをさせたい願いから、承諾する。そんな萬平熱意銀行担当者織田製作所開発見せたことで、一時融資存続決まったものの、梅田銀行人事異動により一転融資金の回収命じられ立花家資産差し押さえられ信用組合窓口では取り付け騒ぎ起きる。最終的に信用組合池田産業を守るため、萬平梅田銀行人間理事長職を託し辞任する。 こうして昭和32年1957年暮れ一家家賃2000円借家転居、鈴は香田家に身を寄せる。年が明けて発明家戻った萬平は、主婦仕事軽減着目した結果、簡単且つ短時間でできるラーメン開発乗り出し裏庭に「即席ラーメン研究所」を設け没頭する。そんな萬平様子没落判断する人々からは陰口叩かれ子供たちはいじめに遭うが、萬平成功信じて家族一丸で彼を支えて行く。 試行錯誤の末、萬平ラーメンスープ完成させ、次は麺作り取り掛かる様々な方法取り入れてもうまくいかない。そんなある日福子敏子からのおすそ分けもらったエビ天ぷら揚げているのを見て萬平は麺のヒント思いついた。そこで萬平はかつて、ダネイホン作り世話になった神部知人近江谷を呼び即席ラーメン研究所」で揚げた麺の成分調べてもらう。すると、高野豆腐のようにスポンジになった麺の断面顕微鏡見て明らかに。ついにラーメン完成し香田家・パーラー白薔薇』で試食会を行う。お湯注ぎ、3分待ちできあがったラーメン各所での試食会は、大成功終わった夜になり、真一訪ねてきてラーメン試食したラーメン食べた真一は「革命的な発明だ」と絶賛。彼は池田信金を退職して萬平ラーメン作り携わりたいと言い出した。さらに、世良訪れ世良商事売り出させて欲しいと切り出した本格的な量産体制始まり、源と幸も学校から帰ってきてからラーメン包装手伝うように。発売日目前福子過労倒れてしまい事態重く見た鈴が再び立花家同居することに。彼女も、ラーメン作り手伝うように。鈴が同居するようになって福子負担半減された。 昭和33年1958年)夏。ついに世界初即席ラーメン・『まんぷくラーメン』が発売されたのであった。大急百貨店試食販売始めたものの、中々まんぷくラーメン』が売れず頭を痛める一同。そんなある日。福子香田家でテレビ見ているとコマーシャル流れたことことで自らコマーシャル作ることを思い立つ神部コマーシャル絵コンテいくつか提案し福子と源・幸がコマーシャル出演することに。ようやく売り上げ軌道に乗り始めたものの、大問題が発生。朝、世良血相変えてまんぷく食品株会社」に現れ、「『まんぷくラーメン』の模倣品発売されている」と知らせた。驚く萬平たち。その中の一つが、『まんぷくラーメン』と味が似ているというのだ。最近になって急に退職した元社員がいたことを思い出した真一。さらに、福子出演したコマーシャルまで模倣されたことを知り怒り収まらない萬平真一世良件の食品会社怒鳴り込み抗議するが「テイコー食品社長猿渡開き直り断固拒否。あまりの事態怒り収まらない真一普段声を荒げるとがない真一の姿に驚く福子と鈴。萬平段々と怒りがこみ上げてきた。 後日改めて、「テイコー食品」を訪れ厳重に抗議した萬平たちだったが、相変わらず開き直る猿渡対し、ついに萬平怒り爆発事態重く見た萬平特許出願。ところが、「テイコー食品」も模倣品・『本家まんぷくラーメン』の特許出願していると知り、驚く萬平。だが、即席ラーメン特許認められたのは「まんぷく食品株会社」だった。萬平は「一人勝ち!!」と喜ぶが、福子複雑な心境に。こうして、模倣品淘汰されたものの、昭和34年1959年)、買い物行った福子未だに粗悪品即席ラーメン発売されている現状目の当たりにし、「このままいいんですか?」と萬平諌めた福子諌められ、スーパー粗悪品即席ラーメン安く売られていることを目の当たりにした、萬平特許他社公開することを決断各社を回るも、相手にされず途方に暮れ萬平。ついに福子世良相談。そこで世良は、元食糧庁長官だった衆議院議員土井垣に相談土井垣は萬平対し、「即席ラーメン協会設立する」という提案を。こうして、即席ラーメン協会設立され萬平初代会長就任。さらに、かつて銀行抵当入れた元いた家に現在暮らしている人が引っ越すことになり、再びあの家暮らそう切り出した福子だった。

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