東ローマ帝国における展開とは? わかりやすく解説

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東ローマ帝国における展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 02:04 UTC 版)

皇帝教皇主義」の記事における「東ローマ帝国における展開」の解説

正教会においてコンスタンティヌス1世は「イサポストロス」(亜使徒)と呼ばれるが、東ローマ帝国後継者達もこの称号保持した12世紀詩人プトコプロドロモスが、皇帝マヌエル1世コムネノスを詩の中で「キリスト似たる人(クリストミメートス)」と呼んでいることからも、東ローマ帝国教会における皇帝位置づけうかがえる宮廷内の儀式等でも皇帝キリストなぞらえられており、その権威権力強大なものであった。現在残されているモザイク画でも皇帝光背伴って描かれている。 歴代皇帝は、戴冠式の際にコンスタンディヌーポリ総主教から副輔祭の教役に任ぜられ、これによって、一般信徒みだりに入ることを許されない教会至聖所立ち入ることを許された。これは「聖職者神品)に任ぜられ」と記述されることがあるが、正教会における副輔祭在俗信徒務め教衆であり、厳密な意味での聖職者神品)ではない。また、副輔祭以下の教衆堂役など)も至聖所に入る事は出来る。 ただ、皇帝聖職者でないといっても、一般信徒とは異な特別な地位持っていた。たとえば皇帝聖職者以外では唯一ココンスタンディヌーポリ総主教座教会聖ソフィア大聖堂内陣中央の扉から聖堂出入りする特権持っていた。正教会教会法総主教任免管轄地政府認可が必要であるとしていた。このため皇帝コンスタンディヌーポリ総主教その他の総主教任免持ち7世紀まではローマ教皇捕縛することも可能だった例えローマ教皇マルティヌス1世教義めぐって対立した皇帝コンスタンス2世によって逮捕され流刑処された)し、教義に関する命令発することも出来た。また皇帝には公会議主宰し大主教府主教管区設置をする権限があった。実際バシレイオス2世1018年ブルガリア帝国滅ぼして東ローマ帝国併合するブルガリアの都オフリド総主教大主教降格したが、コンスタンディヌーポリ総主教からの独立自治認めている。 ただ、皇帝実質的に教会対す支配権持っていても、総じて教会敬意持って扱われていた。535年皇帝ユスティニアヌス1世勅令では支配権インペリウム)と宗教祭司(サチェルドーティウム)はあくまでも別のもので、互いに補完し合うものであるとされているし、9世紀バシレイオス1世発布した法律書『エパナゴーゲー(法律序説)』でも改めてそれが確認され儀礼でも皇帝総主教互いに敬意表しあうものとされていた。教義に関する事項でも総主教各地教会代表者が集まる教会会議承認要したのであり、皇帝命令だけで教義決定できた訳ではないまた、前述の『エパナゴーゲー』では公会議教会会議決議解釈加えることが出来るのは総主教のみであると規定されている。なお、皇帝が幼い時に総主教摂政として権力行使した例も複数ある。 「補完しあう」と規定され皇帝と教会の関係も時に緊張感はらんだものになることもあった。例をあげると8世紀聖像破壊運動帝国末期パレオロゴス王朝時代行われた東西教会合同決議などは皇帝主導したが、聖職者達の強い抵抗によって覆されている。また11世紀イサキオス1世コムネノスのように総主教罷免したことから市民反発買って退位追いこまれた皇帝もいる。ナジアンゾスのグレゴリオスコンスタンディヌーポリ総主教皇帝から直接指名された際には、教会法反するという指摘があって退位した事例のように、皇帝教会法権威配慮していたことも事実である。 東ローマ帝国における皇帝権力は、聖職者叙任権も持たなかった神聖ローマ帝国皇帝などから見れば遥かに強く、その専権事項である軍事・行政行使して教会圧力加えたり総主教更迭したり、フォティオスのような在俗官僚皇族総主教任命したりするなどして教会影響力行使していた。東ローマ帝国においては皇帝と教会共にどちらか従属するようなことがなく、時に緊張をはらみながらも「キリスト教ローマ帝国」の支配層形成していたというべきであろう時代下って18世紀初頭ロシアピョートル1世ロシアの「西欧化」を志向し貴族聖職者たちの反対押し切って近代化推し進めようとした。東ローマ帝国皇帝正当な後継者自称した彼はモスクワを(コンスタンティノープルに次ぐ)「第三のローマ」とみなし、20年以上モスクワ総主教空位にし続けることでロシア正教会支配した以降ロシア正教会実質ロシア統治システム一部組み込まれるかたちになった

※この「東ローマ帝国における展開」の解説は、「皇帝教皇主義」の解説の一部です。
「東ローマ帝国における展開」を含む「皇帝教皇主義」の記事については、「皇帝教皇主義」の概要を参照ください。

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