東ローマ帝国のイコノクラスム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 09:50 UTC 版)
「イコノクラスム」の記事における「東ローマ帝国のイコノクラスム」の解説
「en:Byzantine Iconoclasm」も参照 東ローマ帝国のイコノクラスムは、8世紀から9世紀の東方教会において、聖像(イコン)の崇敬が皇帝により禁止され、聖像を破壊した運動を指す。東ローマ帝国内を二分する争いになったほか、西方のローマ教会(のちのカトリック教会)はこれを非難し、イコノクラスム論争が起こった。 イコノクラスムは終局的には第七全地公会において異端と断じられ、東ローマ帝国地域でもイコン崇敬は復活した。今日では西方教会よりもむしろ、東ローマ帝国の旧版図の教会伝統を継承した正教会においてイコンが盛んに描かれているが、その神学的正統性の論拠はイコノクラスムの時代に再確認、かつ強化された。
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