東ローマ帝国におけるエグザルホス(総督)
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「総督」も参照 476年の西ローマ帝国の滅亡後も、東ローマ帝国は中世前半には安定した状態を維持し、領土拡張を行う能力を保持していた。ユスティニアヌス1世の再征服の間に、北アフリカ・イタリア・ダルマチア・スペインが、東ローマ帝国の版図に入った。この領土拡張は帝国の限られた資源にとり途方も無い重圧となったが、後代の東ローマ皇帝たちは再征服された領土を放棄して重圧を免れる方策を採らなかった。この経緯により、地方の変化に恒常的に対処する総督府(英語: Exarchates)が設置される事になる。 東ローマ帝国の総督府は、地方において弱まる帝国の権威に対応し、特にイタリアと北アフリカにおいて、行政権と軍事権を統合し超越した存在であった。ユスティニアヌス帝によって始められた初期の機構形態は、ヘラクレイオスによって創設されるシステムに帰結した。ラヴェンナの中心部にあった最初の総督府は、マウリキウスによって整備・組織化された。総督はコンスタンディヌーポリ総主教の代表としての役割も果たした。同様に、分割された総督府がシチリア島とカルタゴに設立された。8世紀半ばまでには、これら全ての総督府はランゴバルドとフランク、イスラム帝国の伸張に伴い失われた。
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