東ローマ帝国とその周辺
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ヨハネス・クリュソストモス(349年頃 - 407年)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教・三成聖者の一人。 アエリア・エウドクシア(? - 404年) - 東ローマ皇帝アルカディウスの皇后・ヨハネス・クリュソストモスの追放に大きな影響力を持った。 モプスエスティアのテオドロス(英語版)(350年頃 - 428年)- キリスト教神学者・ネストリオスの師・その著作が三章問題(英語版)で異端とされる。 マロン(? - 410年) - キリスト教の修道士・シリアのアンティオキアで活躍・のちに単意論を唱えるマロン派の祖とされる。 メスロプ・マシュトツ(360年 - 440年) - キリスト教神学者・アルメニア文字を考案し聖書のアルメニア語訳を行う。 ヒュパティア(370年? - 415年)- エジプトの女性数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者・キリスト教徒に虐殺される。 アレクサンドリアのキュリロス(376年 - 444年)- キリスト教神学者・エジプトのアレクサンドリア総主教。ネストリオスの論敵。 エウテュケス(380年頃 - 456年頃) - キリスト教神学者・コンスタンティノポリスの大修道院長。その主張は単性論とされる。 ディオスコロス(? - 454年) - キリスト教神学者・エジプトのアレクサンドリア総主教。エフェソス強盗会議でエウテュケスを支持。 ソクラテス・スコラスティコス(380年頃 - 439年以降) - 歴史家・エウセビオスの著作に続く4世紀から5世紀の『教会史』を執筆する ネストリオス(381年? - 451年?)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。その主張は異端とされる(ネストリウス派)。 登塔者シメオン(390年頃 - 459年) - キリスト教の修道士・シリアで柱頭行なる修行に励み、それを記念して聖シメオン教会が建てられる。 テオドレトス(393年頃 - 457年頃) - キリスト教神学者・キュロス主教・『教会史』『敬神者列伝』がある・三章問題で断罪される。 エデッサのイバス(英語版)(? - 457年頃) - キリスト教神学者・ペルシアのマリス宛て書簡による三章問題で断罪される。 テオドシウス2世(カリグラフォス)(401年 - 450年) - 東ローマ帝国の皇帝(在位408年 - 450年)・「テオドシウスの城壁」や法典を整備。 アスパル(? - 471年) - 東ローマ帝国のゲルマン系軍司令官・ヴァンダルやフンと戦う・マルキアヌス帝やレオ帝の擁立に力があった。 プリスクス(410年/420年 - 472年以降) - 東ローマ帝国の外交官・歴史家・テオドシウス2世の命でフン族のアッティラと会見し記録を残す プロクロス (412年 - 485年) - アカデメイア学頭・新プラトン主義哲学者・伝統継承者(ディアドコス)の別名があり『神学原論』を執筆。 偽ディオニシウス・アレオパギタ(生没年不詳) - キリスト教神学者・プロクロスの影響を受け『天上位階論』『神名論』『神秘神学』を執筆。 イベリアのペトル(413年頃 - 491年) - イベリア王国の王子・神学者・新プラトン主義を教義に導入・偽ディオニュシオス文書の執筆者説あり。 アカキオス(? - 489年)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。皇帝ゼノンに「ヘノティコン」発布を勧めローマ教会と対立。 ゼノン(426年 - 491年) - 東ローマ帝国の皇帝(在位474年 - 491年)・東ゴート王テオドリックにオドアケル討伐を命じる ゾシモス(活躍時期490年頃 - 510年頃) - 官僚・歴史家・『新しい歴史(ヒストリア・ネア)』は帝政ローマ後期の重要資料。
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