東ローマ史料におけるディザブロスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東ローマ史料におけるディザブロスの意味・解説 

東ローマ史料におけるディザブロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 01:44 UTC 版)

室点蜜」の記事における「東ローマ史料におけるディザブロス」の解説

かつてはエフタル人の支配下にあったが、当時勢力強化していたトルコ人に従っていたソグディアナ人は、ペルシアへ行って絹を売る許可を得るために、ペルシア使節派遣することを君主請願したソグディアナ人に使節派遣説得されて、ディザブロス(Dizaboulos)はこれを承認した。…(省略)…(使節団ペルシア通商断られ、絹を燃やされたことを)ディザブロスに報告した。しかし、ディザブロスはその後もなお友好関係結ぼうと、第二使節団ペルシア送った。…(省略)…(またも断られた上、使節団大部分毒殺し気候のせいで死んだ偽ったことに対し)ディザブロスはこの事件見抜いて使節たちが謀殺されたのである信じた。ここにペルシアトルコの間の、敵対関係由来するのである。…(省略)…(ソグディアナ人の首領マニアクの建議により)ディザブロスは(東)ローマ皇帝への挨拶と、高価な絹の贈り物と、2,3書簡持たせ、彼(マニアク)と他数名使節を(東)ローマ皇帝派遣した。 — メナンドロス記録18節 …(省略)…(トルコ攻守同盟結んだ東ローマ帝国友好使節としてキリキアのゼマルコス(Zemarchos)をトルコへ派遣した。)使節たちは可汗住んでいるエクタグ(Ektag)と呼ばれる山に向かって出発した。この山はギリシア語でちょうど「金の山」という意味である。そして彼らが到着したところは、この金の山に囲まれた谷の中の、ディザブロスの牙帳であった。ゼマルコスとその従者たちがそこに到着すると、直ちにディザブロスの前へ通された。ディザブロスは天幕の中で、二輪の車つきの金の椅子に腰をかけていた。いざという時には、その椅子が馬の前にひいてこられるであった。ゼマルコスはこの異国人に、彼らの作法どおりに挨拶をした後、贈物差し出した。…(省略)…このようにゼマルコスが挨拶済ませると、ディザブロスも身体曲げて挨拶をした。次いで彼らは宴を催し天幕の中で一日中酒盛りをして過ごした。その天幕さまざまな色を巧妙に織りこんだ絹地内部覆ってあった。彼らは酒をよく飲んだ。だがそれはわれわれの酒のように、葡萄から搾ったものではなかった。彼らの国は葡萄生産しないからで、そのような方法は彼らのもとでは行われていないのである。しかしそこには、葡萄搾り汁似た異国風な酒が満ちていた。彼らは自分たちの宿に行った。その翌日、彼らは他の天幕集まった。それはすべて絹で覆われ装飾施されていた。そこにはまたいろいろな形の立像があった。ディザブロスは純金椅子座り天幕中央には金の酒杯と壺、さらには金のジョッキ置かれていた。…(省略)…翌日、彼らはもう一つ異なった天幕集合した。その天幕は金で覆われ木製円柱支えられ同様に金でつくられ寝床は、4匹の孔雀支えられていた。部屋の間の部分には、車が長い列をなして陳列され、その中に非常に多く銀器や皿、鉢などが置かれていた。さらにまた、同じように銀で作られ動物の像も多数あった。…(省略)…ゼマルコスの従者たちがまだそこに留まっている間に、ディザブロスは「ゼマルコスと彼の20名の従者ペルシア対す自分戦役参加するように、その間残りローマ人は、コリアト人の国戻って、ゼマルコスの帰還を待つように」と命じた進軍中、ディザブロスは彼らを解放し贈物をして喜ばせた。また彼はゼマルコスを褒めていわゆるケルキスから捕えた一人女奴隷を与えた。…(省略)…彼らがちょうタラス(Talas)という場所で止まった時、ペルシア使者がディザブロスを迎えた。そして彼らと一緒に自分たちのところで食事をするように、ローマ使者たちも招待した。さて彼らがペルシア人所へ行った時、ディザブロスはローマ人たちに敬意表し名誉ある位置を彼らにとらせたつづいて彼はペルシア人に、彼らの不正を聞き知り、彼らと戦うために来たのであると、強く非難をあびせた。そしてディザブロスがだんだん罵言弄するうになると、ペルシア使者は、宴においては静粛を守るという大切な習慣無視して激しく話しはじめたその中で彼は大胆にディザブロスの非難突っぱねたので、いあわせた人々彼の怒りにひどく驚いた。…(省略)…その宴は中止され、ディザブロスはペルシアに向かう準備をした。また彼はゼマルコスとその従者たち集めローマ人との友好関係今一度固めた後、彼らを故国へ帰らせた。 — メナンドロス記録20

※この「東ローマ史料におけるディザブロス」の解説は、「室点蜜」の解説の一部です。
「東ローマ史料におけるディザブロス」を含む「室点蜜」の記事については、「室点蜜」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東ローマ史料におけるディザブロス」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東ローマ史料におけるディザブロス」の関連用語

1
10% |||||

東ローマ史料におけるディザブロスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東ローマ史料におけるディザブロスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの室点蜜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS