東ローマ史料におけるディザブロス
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「室点蜜」の記事における「東ローマ史料におけるディザブロス」の解説
かつてはエフタル人の支配下にあったが、当時勢力を強化していたトルコ人に従っていたソグディアナ人は、ペルシアへ行って絹を売る許可を得るために、ペルシアに使節を派遣することを君主に請願した。ソグディアナ人に使節派遣を説得されて、ディザブロス(Dizaboulos)はこれを承認した。…(省略)…(使節団はペルシアに通商を断られ、絹を燃やされたことを)ディザブロスに報告した。しかし、ディザブロスはその後もなお友好関係を結ぼうと、第二の使節団をペルシアに送った。…(省略)…(またも断られた上、使節団の大部分を毒殺し、気候のせいで死んだと偽ったことに対し)ディザブロスはこの事件を見抜いて、使節たちが謀殺されたのであると信じた。ここにペルシアとトルコの間の、敵対関係が由来するのである。…(省略)…(ソグディアナ人の首領マニアクの建議により)ディザブロスは(東)ローマ皇帝への挨拶と、高価な絹の贈り物と、2,3の書簡を持たせ、彼(マニアク)と他数名の使節を(東)ローマ皇帝へ派遣した。 — メナンドロスの記録 第18節 …(省略)…(トルコと攻守同盟を結んだ東ローマ帝国は友好の使節としてキリキアのゼマルコス(Zemarchos)をトルコへ派遣した。)使節たちは可汗が住んでいるエクタグ(Ektag)と呼ばれる山に向かって出発した。この山はギリシア語でちょうど「金の山」という意味である。そして彼らが到着したところは、この金の山に囲まれた谷の中の、ディザブロスの牙帳であった。ゼマルコスとその従者たちがそこに到着すると、直ちにディザブロスの前へ通された。ディザブロスは天幕の中で、二輪の車つきの金の椅子に腰をかけていた。いざという時には、その椅子が馬の前にひいてこられるのであった。ゼマルコスはこの異国人に、彼らの作法どおりに挨拶をした後、贈物を差し出した。…(省略)…このようにゼマルコスが挨拶を済ませると、ディザブロスも身体を曲げて挨拶をした。次いで彼らは宴を催し、天幕の中で一日中酒盛りをして過ごした。その天幕はさまざまな色を巧妙に織りこんだ絹地で内部を覆ってあった。彼らは酒をよく飲んだ。だがそれはわれわれの酒のように、葡萄から搾ったものではなかった。彼らの国は葡萄を生産しないからで、そのような方法は彼らのもとでは行われていないのである。しかしそこには、葡萄の搾り汁に似た、異国風な酒が満ちていた。彼らは自分たちの宿に行った。その翌日、彼らは他の天幕に集まった。それはすべて絹で覆われ、装飾が施されていた。そこにはまたいろいろな形の立像があった。ディザブロスは純金の椅子に座り、天幕の中央には金の酒杯と壺、さらには金のジョッキも置かれていた。…(省略)…翌日、彼らはもう一つの異なった天幕に集合した。その天幕は金で覆われた木製の円柱に支えられ、同様に金でつくられた寝床は、4匹の孔雀に支えられていた。部屋の間の部分には、車が長い列をなして陳列され、その中に非常に多くの銀器や皿、鉢などが置かれていた。さらにまた、同じように銀で作られた動物の像も多数あった。…(省略)…ゼマルコスの従者たちがまだそこに留まっている間に、ディザブロスは「ゼマルコスと彼の20名の従者はペルシアに対する自分の戦役に参加するように、その間、残りのローマ人は、コリアト人の国に戻って、ゼマルコスの帰還を待つように」と命じた。進軍中、ディザブロスは彼らを解放し、贈物をして喜ばせた。また彼はゼマルコスを褒めて、いわゆるケルキスから捕えた一人の女奴隷を与えた。…(省略)…彼らがちょうどタラス(Talas)という場所で止まった時、ペルシアの使者がディザブロスを迎えた。そして彼らと一緒に自分たちのところで食事をするように、ローマの使者たちも招待した。さて彼らがペルシア人の所へ行った時、ディザブロスはローマ人たちに敬意を表し、名誉ある位置を彼らにとらせた。つづいて彼はペルシア人に、彼らの不正を聞き知り、彼らと戦うために来たのであると、強く非難をあびせた。そしてディザブロスがだんだん罵言を弄するようになると、ペルシアの使者は、宴においては静粛を守るという大切な習慣を無視して、激しく話しはじめた。その中で彼は大胆にディザブロスの非難を突っぱねたので、いあわせた人々は彼の怒りにひどく驚いた。…(省略)…その宴は中止され、ディザブロスはペルシアに向かう準備をした。また彼はゼマルコスとその従者たちを集め、ローマ人との友好関係を今一度固めた後、彼らを故国へ帰らせた。 — メナンドロスの記録 第20節
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