ペルシアへとは? わかりやすく解説

ペルシアへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:08 UTC 版)

クセノポン」の記事における「ペルシアへ」の解説

詳細は「アナバシス」を参照 クセノポン若いころペルシアアルタクセルクセス2世の弟キュロス兄王打倒すべく雇ったギリシア傭兵参加した紀元前401年紀元前399年)。クセノポンがこのことについてソクラテス相談すると、ソクラテスは「神様お伺いをたてろ」と言った。しかしクセノポンは「参加するにあたっては、どの神にお供えすればいいか」とお伺いをたててしまい、その答え聞いてしまった。クセノポン参加したくてたまらなかったのであろうソクラテスはしかたなく「『参加するにあたっては』、とお伺い立ててしまった以上、神様にうそはつけない」として、参加許したという。しかし、このおかげでクセノポンは師の死(紀元前399年)に立ち会うことができなかった。 傭兵として参加した東征も、キュロス戦死によって失敗に終わる。しかし、雇用主指揮官死去によってペルシア帝国真ん中放り出され傭兵部隊をまとめ、激し攻撃や自然の猛威防ぎながらも敵中脱することができたのは、クセノポンの名采配あってこそだった

※この「ペルシアへ」の解説は、「クセノポン」の解説の一部です。
「ペルシアへ」を含む「クセノポン」の記事については、「クセノポン」の概要を参照ください。

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