東ローマ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 17:02 UTC 版)
東ローマ帝国のユスティニアヌス1世は536年にポントスを、ポントス・ポレモニアクス、ヘレノポントス(Helenopontus)、パフラゴニア(英語版) (Paphlagonia)へ再編し、7世紀以降のテマ制(軍管区制)へと引継がれることとなった。東ローマ帝国の支配が徐々に弱まる中で、ポントスには東ローマより独立した国家として、トレビゾンド帝国が1204年から1461年まで存続した。 トレビゾンドが滅亡して以降はオスマン朝の支配に服することとなり、オスマン朝が1922年に滅亡した後はトルコ共和国へ帰属している。
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