東ローマ帝国で活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 06:50 UTC 版)
「コンラート1世 (モンフェラート侯)」の記事における「東ローマ帝国で活躍」の解説
イタリアでも名族で知られたモンフェッラート侯アレラーミチ家の出身。1179年、モンフェラート侯爵と当時の東ローマ帝国皇帝・マヌエル1世コムネノスとの同盟に基づき、コンラドは軍を率いて出征し、帝国の内乱を鎮圧した。コンラドは智勇兼備の名将であったことから恐れられたが、この頃に東ローマ帝国は次々と皇帝が変わり、1185年に即位した皇帝イサキオス2世アンゲロスがとりわけ暗愚なために帝国の内乱は増える一方だった。 1186年の冬、イサキオス2世アンゲロスは彼に自分の姉テオドアを妻とするよう要請し、このころ東ローマを去って十字軍に加わろうと考えていたコンラドもこれを受け入れた。1187年春に結婚式がコンスタンティノープルで行われ、このことで家格もその存在も一段と高まった。結婚後すぐさまアレクシオス・ブラナス将軍の反乱の鎮圧に向かい、将軍を殺して反乱を収束させた。
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