木造蔵王権現立像
主名称: | 木造蔵王権現立像 |
指定番号: | 946 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1938.08.26(昭和13.08.26) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造蔵王権現立像
主名称: | 木造蔵王権現立像 |
指定番号: | 947 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1938.08.26(昭和13.08.26) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造蔵王権現立像(奥之院安置)
主名称: | 木造蔵王権現立像(奥之院安置) |
指定番号: | 1851 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1904.02.18(明治37.02.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | 1168 |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造蔵王権現立像
主名称: | 木造蔵王権現立像 |
指定番号: | 1853 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1920.04.15(大正9.04.15) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 6躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊)
主名称: | 木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊) |
指定番号: | 3391 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 蔵王堂内の東北隅に安置される客仏である。像内の明治二十五年の修理銘札から、明治維新後に廃絶した、現在金峯神社のある愛染と呼ばれる地にあった安禅寺の本尊であったことが知られる。安禅寺は山下蔵王堂から、南東約六キロ、大峰山上に向かう途中に位置し、山下金峯山寺の奥院的性格をもち、早くから金峯山の一中心として栄えていた。元弘の乱(一三三一-三)に際し、護良親王が愛染宝塔を中心に城を構えたことは、よく知られている。寛文五年(一六六五)の伽藍記に、奥院蔵王堂、一重栃葺、とあり、また天保九年(一八三八)の参詣記に、奥の院本堂本尊蔵王権現とあって(『大和巡日記』)、これが本像を指すものとみられる。 像は蔵王権現としてほぼ通行の形をとるが、両足を大きく広げて安定感をはかり、風に翻るような短かめの裳をつけて颯爽と立つ姿は、平安、鎌倉時代に遺例の多い蔵王権現像の中でも、傑出したできばえを示す。胴躰や腕は、動きの激しい深い衣文とのバランスを考慮してか、おだやかな肉付けによってゆったりと造られ、そこにも作者の優れた造形力が感じられる。蔵王権現の基準作例は乏しいが、同じ忿怒形像である宝治元年(一二四七)西大寺愛染明王像、正元元年(一二五九)白毫寺太山王像等と比べると、本像の大まかな面部の肉取りには、やや形式化した点が認められる。しかし、延文三、四年(一三三八)頃の康成作金峯山寺二王像、文和四年(一三五五)寛慶作法隆寺上堂四天王像など、南北朝期の、装飾過多で下半身が鈍重な作風とは一線を画するものがあり、製作年代は鎌倉時代後半から末頃とみることができよう。 松材、寄木造、素地仕上げ、玉眼。頭部は大略前後二材矧、挿首。躰部は正面、背面を各左右二材矧とし、前後の材の間に左右各二材のマチ材を挿み、その表面に薄材をあてて両躰側部を作る。左足一材製、裳裾から像内を貫いて右肩にいたり、像を支持する。両腕は、上膊、前膊とも前後二材矧。右大腿部は前後二材矧。その他、両足首、裳翻転部などを矧ぐ。玉眼、及び光背、右足下の支持棒等は後補である。 |
木造蔵王権現立像(蔵王堂安置)
主名称: | 木造蔵王権現立像(蔵王堂安置) |
指定番号: | 3392 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 3躯 |
時代区分: | 桃山 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 山岳信仰の地として早くから開けた金峯山は、わが国で独自の尊像として考えられた蔵王権現を信仰の中心とし、平安時代には山上(山上ヶ岳、現大峰山寺)、山下(吉野山、現金峯山寺)の蔵王堂に蔵王権現像がまつられた。山下蔵王堂は鎌倉時代には地の利によって金峯山一山の惣堂的性格をもったが、幾度か火災にあい、現在の蔵王堂(本堂、国宝)は、天正二十年(一五九二)頃の再建である。三躯の巨像はこの時の作とみられ、当時の代表的な南都仏師であり、京都方広寺の大仏造立にもあたった宗印が、吉野如意輪寺蔵王権現像(木造、像高八六・五センチ、嘉祿二年〈一二二六〉源慶作)を模して造ったという(『金峯山古今雑記』)。 やや平板な肉取りや細部の装飾的な処理には、当代の彫刻の一般的傾向があらわれているが、動きの激しい巨像を破端なくまとめた技量には注目すべきものがあり、彩色まで含めて保存状態はきわめてよく、桃山時代を代表する遺品として価値が高い。なお、中尊の正面焔髪裏などには結縁者とみられる多数の人名が記される。 三躯はいずれも檜材、寄木造、彩色、漆箔。眼、歯牙に銅板貼装。頭部は大略三~六材矧。挿首。躰幹部は正、側、背の各面に三~四材を並べ、像内を渡す多数の貫で緊結し、腕、足、衣部等を矧ぐ。木造、漆箔及び彩色の光背も当初のものである。 |
彫刻: | 木造蔵王権現立像 木造蔵王権現立像 木造蔵王権現立像 木造蔵王権現立像 木造薬師如来両脇士像 木造薬師如来両脇士像 木造薬師如来両脇士像 |
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