最初のデモ
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「2007年ミャンマー反政府デモ」の記事における「最初のデモ」の解説
2007年9月5日、ミャンマー当局はパコックでの僧侶300人によるデモを強制的に解散させ、3人の僧侶を負傷させた。翌6日、数百人の僧侶によって僧院を訪れた民兵20人が拘束された。彼らは最終期限の9月17日までに謝罪を要求したが、軍隊は謝罪することを拒否。その後、抗議はヤンゴン、シットウェ、パコックとマンダレーを含むミャンマー中に広がり始めた。 9月22日、デモがミャンマーの5つの官区に広がり、およそ2000人の僧侶がヤンゴンを行進し、1万人がマンダレーを行進した。民主化運動指導者のアウンサンスーチーは未だ自宅監禁中にもかかわらず、仏教僧の賛同を受け入れるために、彼女の住居の入口で短い時間ながら、公の場に姿を見せることにした。 9月23日、150人の尼がヤンゴンで抗議に加わった。その日、約15,000人の僧侶と一般市民は、ミャンマー軍事政権に対する抗議がエスカレートした6日目に、ヤンゴンの通りを行進した。ビルマ暫定軍事政権が退けられるまで、全ビルマ仏教僧連盟は抗議を続けると誓った。 9月24日、ヤンゴンでのデモ30,000人から100,000人の間まで膨れ上がった。BBCは、2人の有名な俳優、コメディアンの Zargana と映画俳優の Kyaw Thu が僧侶に食物と水を提供するために早くからヤンゴンのシュエダゴン・パゴダへ行ったと報じた。デモ行進後、およそ1,000人の僧侶はアウンサンスーチーを迎えるために家に向かったが、警察によって立ち入りを拒否された。その後、軍事政権の宗教大臣、Thura Myint Maung 准将は抗議を導いている僧侶に「規約」を越えないよう警告した。 9月25日、軍事政権は、シュエダゴン・パゴダに軍のトラックを置き、デモ参加者を威圧した。拡声器が取り付けられた車両でヤンゴン中心部において、軍事行動の予告がなされ「行進に続かないこと、応援しないこと、参加しないこと。この命令に違反する人々に対して措置はとられる」と放送された。ロイターは、アウンサンスーチーが僧侶たちのために家の前に姿を見せた翌日に拘留され、日曜日にインセイン刑務所に移動されたと報じた。 9月26日付けで、ミャンマー軍事政権は国の2大都市、ヤンゴンとマンダレーに夕暮れから夜明けまでの夜間外出禁止命令を出し、更に5人以上の集会が禁止された。武装した兵士と機動隊を乗せたトラック数台が、ヤンゴンへもたらされた。 9月26日、デモに協力した著名人らが軒並み逮捕された。軍隊はシュエダゴン・パゴダをバリケード封鎖して、警棒と催涙ガスで700人の抗議者の一団を排除し、塔の周辺地域を立ち入り禁止にした。ヤンゴンを進んでいる5,000人の僧侶は、催涙ガスを見越して多少のマスクを着用しており、行進を止めることはできなかったが、少なくとも3人の僧と1人の女性がヤンゴン治安部隊の発砲によって死亡した。 9月27日、軍事政権治安部隊は抗議を鎮めるため、国中の僧院を急襲。少なくともヤンゴンで200人と北東部で500人の僧侶を逮捕した。軍隊はデモを解散させるため、10分の猶予をあたえていた。ノルウェー、オスロから発信する反体制のラジオ局ビルマ民主の声 (DVB) は、日本のカメラマンを含む9人の一般人が軍隊によって銃撃され、殺されたと報じた(#日本人ジャーナリスト射殺事件)。 夜、ビルマの国営テレビは、9人がヤンゴンで民主主義活動家に対する強制取締りで死亡し、31人の兵士が負傷したと報じた。 ミャンマーは国際圧力に屈し、国連の特使イブラヒム・ガンバリ国連事務総長特別顧問の入国を許可した。安全保障理事会がニューヨークで開かれたあと、彼はミャンマーに向けて出発した。 9月28日、人々は軍の報復を怖れ、ヤンゴンはがら空き状態となった。フィリピンのグロリア・アロヨ大統領は、ミャンマーに「民主主義の方向へ踏み出す」ように勧めた。米国の使節は、中国にミャンマーにおける影響力を行使するように依頼した。 10月1日、英 BBC とビルマ民主の声は、僧衣をはぎとられた僧侶の遺体が川に浮かんでいると報じた。英BBCは、僧侶約4000人が拘束され収容所への移送を待っていると報じた。 11月16日、ミャンマーを訪問していた国連人権理事会のパウロ・ピネイロ(英語版)特別報告官は、「軍政から、死者は最大都市ヤンゴンだけで14人で僧侶はいないと聞いた」と記者会見。 12月7日、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチは、ヤンゴン市内だけでも確認された死者は20人。僧侶や反政府運動を行っていたグループのメンバーなど数百名が消息不明となっているなど、反政府デモに対する弾圧に関する報告書を発表。
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