最初のタコ山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 00:43 UTC 版)
前田屋外美術株式会社(倒産し、旧経営陣により現在は前田環境美術株式会社に社名変更して営業)が開発、1960年代後半から日本全国の公園に設置した屋外公園遊具で、その形状が成立した経緯については複数の証言がある。 当時同社の若手デザイナーであった工藤健(東京藝術大学彫刻科修了。のち、彫刻家として大成。多摩美術大学名誉教授、二科会理事)によれば、この遊具の雛形に当たる新案は「プレイスカルプチャー 石の山」という名称で、曲線の組み合わせで何の形とも判然としない形状の滑り台であったという。工藤は児童の想像力を掻き立てようと、あえて不可解な形状にデザインした結果であった。 だが、売り込み先の一つであった東京都の足立区役所の幹部には理解されず、何の形か分からないから頭を付けてタコ(蛸)の形にするように指示されてしまう。しかしこうしてできた「タコの山」第1号が区内の新西新井公園(1965年〈昭和40年〉造成)に設置されると人気を博し、ほかの公園にも次々に設置されるようになっていったという。 一方、東京都品川区の公園整備担当職員であった人物の証言では、区内の神明児童遊園に設置する遊具として前田屋外美術株式会社が曲がりくねった滑り台を複数組み合わせた形状の遊具を提案したが、この職員は気に入らず、同社のカタログに掲載されていた別の遊具がタコ(蛸)の形であるのを見て、原案の遊具にタコの頭を載せてタコの姿を模った滑り台にすることを思いついた。これこそが「タコの山」誕生の瞬間であり、1968年(昭和43年)に神明児童遊園に設置された2基が第1号であるという。 いずれにしても、1960年代後半、東京都区部の都市公園に登場した「タコの山」は子供たちに人気の遊具となった。設置されている公園は、公園管理者の定めた正式名称とは別に「タコ山公園」「タコ公園」「タコチュー公園」など地域住民や愛好者による思い思いの愛称で親しまれている。前田環境美術株式会社は1970年(昭和45年)ごろから全国に「タコの山」を約400基作ったが、当社には記録が残されておらず、正確な数は把握できない。
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