日本における家柄とは? わかりやすく解説

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日本における家柄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 17:15 UTC 版)

家柄」の記事における「日本における家柄」の解説

日本では5世紀以降朝廷起源たるヤマト政権が、近畿中心に有力氏族連合による統治行っていたが、豪族勢力により、大臣大連をはじめとした姓により、氏族優劣定めていた。飛鳥時代聖徳太子時代に、冠位十二階定められ、後に律令制に基づく官位制制定される段階で、既存の有力氏族その子弟に独占されてきた旧態改め官職能力に応じて位を授け位階制度成立し実力主義的な官吏登用が可能とされたが、実際には有力氏族大きな力を持ち蔭位の制により、有力貴族の子女の叙位任官優遇することが制度化されていた。特に天皇外戚として地位得た藤原氏をはじめ、皇親勢力たる源氏平氏藤原氏橘氏(この四氏はいわゆる本姓)、菅原氏紀氏大江氏在原氏及び古代からの名族たる伴氏が高い官位得たその後、他氏排斥成功し朝廷支配した藤原氏をはじめ、源氏平氏などが公卿ないし武士として大成し公家ないし武家として格式定まり叙位任官家柄に基づき婚姻も同じ位を有する家系同士の間で行われるようになった。 特に平安時代から鎌倉時代にかけては、公卿武士中心に出自祖先伝来武勲に基づく格式形成されるようになり公家武家双方において次第家格明確化されていく中で、叙位任官はもちろん、婚姻においても自家同等家格か、その上下に位する家系なされることが多くなって行った。 だが、南北朝戦国2つ内乱挟んだ中世後期300年間にそれ以前家柄家格のほとんどが一旦は崩壊している。皇室家系古代にまで遡れる一部公家武家除いてはこの時代多く既存支配層家系没落断絶しており、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて封建制度再建が行われる過程新たな家柄家格秩序構築された。支配層(特に織田豊臣徳川政権下新たに成立した大名家など)の中には家系図偽造してでも中世以前にまで家系つなげようとした者もあったと言われているが、現在の日本人意識できる「家」そのもの及び家意識原点と言うべき「創始者」をたどっていくと、ほとんどの場合中世後期300年間が上限であり、この時期人物それぞれの家の「創始者もしくは御先祖様」としている例が多い。 明治時代四民平等導入された後、華族士族平民間の通婚可能になり、また士族には特権が伴わなくなり実質的に平民変わらない存在となったことから、大半国民既存身分制から解放されといえるが、皇室華族については貴族院議員資格有するなど法的特権残った。 また社会的に伝統的な評価代わる新たな家柄評価見られるようになった。たとえば、財力学歴であったり、地主小作人の関係などである。しかし全体として近代以降人物評価にあたって家柄重み減少傾向にある。 戦後華族士族平民の別が廃され皇室除いて国民間の法的区別なくなった。 現在、人物評価にあたって家柄重んじる風潮はさほど強くはないと考えられるが、伝統芸能世界政界中小企業など世襲が強いと言われる社会依然として存在している。 本来的な家柄概念は、氏族としての家系指したが、現在は家族職業社会的地位学力経済力水準といった家庭環境以ってとらえられることもある。

※この「日本における家柄」の解説は、「家柄」の解説の一部です。
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