影響と余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:21 UTC 版)
事実上全国が恐慌の影響を受けた。コネチカット州、ニュージャージー州、デラウェア州は、その商業地域で非常に大きな打撃を受けたと報告した。1837年、バーモント州の商業制度と信用制度は、強い打撃を受けていた。バーモント州は1838年に小康状態になるが、1839年から1840年にかけて再び強い打撃を受けた。ニューハンプシャー州は近隣の州ほどは影響を受けなかった。1838年には永続的な負債はなく、翌年以降の経済的打撃はさほど大きくなかった。ニューハンプシャー州最大の苦難は、州内における少額硬貨の流通であった。南部における状況は、東部の状況より悪かった。オールドサウスは強く打撃を受けたが、綿花地帯は最悪の打撃を受けた。バージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州では、恐慌の影響から商品作物は多様化していった。ニューオーリンズは事業全体に不況が起き、通貨市場は1843年を通じて悪い状況に置かれた。ミシシッピ州の農園主数人は、多くの農園主を完全に破産させようと所持金の多くを使った。1839年までに農園の多くは耕作が放棄された。フロリダ州とジョージア州は、ルイジアナ州やアラバマ州、ミシシッピ州よりは遅れて影響を受けた。1837年、ジョージア州民は日用品の購入を続けるのに十分な財力があった。1839年までフロリダ州民は、支払いを滞りなく行えていた。しかし1840年になると、ジョージア州とフロリダ州にも、恐慌の悪影響が及び始めた。最初西部は東部や南部ほどの影響を受けなかった。オハイオ州やインディアナ州、イリノイ州は農業州であり、1837年は農民が豊作に救われる形となった。しかし1839年、農産物価格が下落し、影響は農民にまで及んだ。 2か月でニューヨークの銀行だけで損失は約1億ドルになった。アメリカ合衆国の銀行850行のうち343行が完全に閉鎖し、62行が部分的に閉鎖し、合衆国の銀行制度は、完全に復活できないほどの衝撃を受けた。出版業界は特に続く不況により打撃を受けた。 1842年、アメリカ経済は幾分持ち直し一部は1842年の関税(英語版)により5年間の不況に打ち勝てたが、殆どの報告によると経済は1843年まで持ち直さなかった。 殆どの経済学者は1838年から1839年に短期的に持ち直し、その際イングランド銀行やオランダの債権者が利率を引き上げたことで終わった点で合意している。しかし経済史家のピーター・テミンは、デフレーションに転じた時点で経済は1838年以降に成長したと主張している。経済学者で歴史家のマレー・ロスバードによると、1839年から1843年にかけて実際の投資は23%下落しマネーサプライは34%縮小した一方で実際の消費は21%増大し国民総生産は16%増大した。 多くの個人は、債務不履行状態に陥り、イギリスの債権者を怒らせた。短期間アメリカ合衆国は国際金融市場から撤退した。1840年代後半になってやっとアメリカ人はこの市場に戻れた。このデフォルトは他の不景気の結果と共に国家と経済発展の関係に大きく深く関わりを持たせた。同様に恐慌は国内の改革にとって公の支援を受けながら信用を傷つけた。国内の改革における国家の投資は南部諸州で南北戦争まで公然と行われた一方で、北部諸州は益々金融成長に対する公共投資よりも私的投資に目が向いた。更に恐慌は暴動などの国内騒乱を助長した。最終的には、より専門的な警察を持つ国家警察力の増大につながった。 信用や心理のような無形の要因は強力な役割を果たし、恐慌の巨大さや深さを理解する助けとなる。当時の中央銀行は価格や雇用を監理する能力が制限されており、銀行の取り付けを公然のものにした。銀行が数行破綻すると、警報は急速に業界に広まり、新聞がそれを煽った。心配した投資家は、預金を引き出そうと銀行に殺到した。このような圧力に直面して、健全な銀行さえ貸しはがしや債務者からの支払いを求めて更に縮小を行わなければならなかった。ここから更に負のスパイラルや雪だるま効果へと発展しながらヒステリックになった。言い換えれば、心配、恐れ、広がる信用欠如が、圧倒的で自ら支えられるフィードバックループを開始した。多くの経済学者は、今日この現象を情報の非対称性と理解している。本質的に銀行預金者は不完全な情報に反応し、自分の預金が安全か分からず、更なるリスクを恐れ、預金を引き出し、更には多くのダメージの原因になった。負のスパイラルの同じ概念は、土地や綿、奴隷に投機する南部の多くの農園主には現実のものであった。多くの農園主は、綿価格が上がり続ける前提で銀行から資金を借りた。しかし綿価格が下落すると、農園主は借金を返せなくなり、銀行の支払い能力を危うくした。この要因は特に銀行における預金保険の欠如を示した。銀行の顧客は、預金が安全だと確信が持てず、他の経済を危うくしかねない無分別な決定をしかねない。経済学者は今日銀行における兌換性(英語版)や預金保険、十分な資本要件が銀行への取り付けに制約を加えられると見ている。
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