巌谷家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 21:59 UTC 版)
「オリンピア・キュクロス」の記事における「巌谷家」の解説
デメトリオスと多く交流をもつ一家。 巌谷浅吉(いわや あさきち) 声 - 佐藤貴史 1964年ごろの東京でデメトリオスが出会う老人。デメトリオス作の壺を所有するなどギリシャ文明に造詣が深く、古代ギリシャ語でデメトリオスと会話が出来る数少ない人物。デメトリオスの時代に無い文化や思想を教える。 2020年では既に故人で、2000年ごろに大往生を遂げたとされる。 デメトリオスの壺絵は下手くそだが貴重な遺物として所有している。 スポーツも好きで、近代日本においては有名人で巖谷教授として名が通っており、巖谷が水泳競技観戦中にデメトリオスが裸でプールに乱入し警備員に取り押さえられた時も警備員が巖谷教授の名前を知っていて、巖谷が警備員に頼んで場を収めてデメトリオスに服を着させて一緒に観戦している。 アニメ版では1964年から約十年後に健在で、見た目は変わらないがその時代(1974年頃)に出現したデメトリオスにはやや老化した旨を指摘される。その際、東京都民だが近隣の都内観光で「はとバスツアー」に参加し、都内のカプセルホテルにも宿泊している。デメトリオスは古代ギリシャでこれらを可能な限り再現し、観戦客のおもてなしでバスの代わりに「はと馬車観光ツアー」を開催しカプセルホテルと同様の狭小客室の「つぼホテルサービス」を行っている。また、デメトリオスが参加者に振舞う斬新な食事を探していたところで夜食でカップ入りインスタントラーメンをデメトリオスに振舞って、デメトリオスはお湯を注ぐだけで短時間でできる素晴らしさに感動して古代ギリシャで容器は壺にして麺を揚げて再現している。 またアニメ版ではデメトリオスが戦争を面倒くさい祭り程度にしか認識していないところを、戦争映画を見せて人類の技術革新で殺し合いをしてきた悲惨な歴史や平和への誓いといった現代オリンピックの理念でもある世界平和の重要な価値観をデメトリオスに教え込み、アメリカでもベトナム戦争の中止を若者が歌で反戦運動を行うといったアドバイスも行う。1964年当時は1945年の太平洋戦争敗戦から20年余りしか経過しておらず、1955年のベトナム戦争開戦で1975年のベトナム戦争が終戦するまでの泥沼化時期でもあった。 巌谷敏郎(いわや としろう) 浅吉の孫。1964年時は年端もいかない幼子だったが、2020年では浅吉と瓜二つの容貌をした古代ギリシャの研究者になる。オリンピック委員会に名を連ねるほどの人物となっているが、息子夫婦に起こった悲劇に起因する家庭問題を抱える。 巌谷泰司(いわや たいじ) 敏郎の息子。若いころはレスリングのオリンピック候補になるほどの選手だったが、交通事故で妻を喪い、自身も選手生命を絶たれる。その後は指導者に転身するが、自分の夢を息子の卓司に押し付けるようになり、家族間に不和をもたらす原因となる。プロレスをエンターテインメント重視の低俗なスポーツと見下していたが、卓司と龍山の試合を見て考えを改める。 巌谷卓司(いわや たくじ) 敏郎の孫。3歳から父の厳しいレスリング指導によって結果を残しながらも父に認められない現状に嫌気がさし、2020年では趣味の昆虫飼育とプロレス鑑賞に傾倒している。父の過剰な指導に耐えかねて練習から逃げ出した直後、古代ギリシャにタイムスリップしてデメトリオスやプラトンらと邂逅し、彼らと交流を経てプロレスの世界で生きていくことを決め、「カブトムシマスク」の名でアマチュアプロレス団体のリングに上がるようになる。試合を鑑賞していた龍山と前代未聞の一本勝負を見せたことで父にも認められ、龍山の団体に迎え入れられることとなる。
※この「巌谷家」の解説は、「オリンピア・キュクロス」の解説の一部です。
「巌谷家」を含む「オリンピア・キュクロス」の記事については、「オリンピア・キュクロス」の概要を参照ください。
- 巌谷家のページへのリンク