小沢 (弘前市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 04:19 UTC 版)
小沢 | |
---|---|
北緯40度33分56.12秒 東経140度26分29.69秒 / 北緯40.5655889度 東経140.4415806度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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人口 | |
• 合計 | 1,318人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8243 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
小沢(こざわ)は、青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8243。
地理
中央部を青森県道126号久渡寺新寺町線が縦貫し、アップルロードが横断する、広域にわたり展開する地区。北は多くの町に接し、東は原ケ平・大和沢、東南から南にかけて一野渡、南西は湯口・坂元、西は悪戸に接する。
小字
小字として井沢・苺原・大畑沢・大開・大開西・御笠見・蟹沢・沢田・鶴子沢・根小屋沢・広野・前沢・山崎・山下がある。 以前は大原もあったが、消滅した。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 清水村大字小沢となる。
- 1891年(明治24年) - 当時の記録では人口853、戸数111、厩89、学校1、水車1であった。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 弘前市大字小沢となる。
- 1967年(昭和42年)7月10日 - 字大原の一部が旭ケ丘二丁目・緑ケ丘三丁目・清水三丁目・若葉二丁目になる。
- 1975年(昭和50年)10月20日 - 字大原、大開の各一部が大原一~三丁目、字大原、山崎の各一部が桜ケ丘一~五丁目になる。これにより、字大原が消滅。
- 1978年(昭和53年)10月30日 - 字山崎の一部が城南五丁目になる。
- 1981年(昭和56年)2月15日 - 字大開の一部が大開一~四丁目、金属町、青樹町になる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小沢(小字全域) | 503世帯 | 1,318人 |
施設
教育
- 小沢保育園
- 青森県立弘前高等学校野球場
医療
- 鷹揚郷(おうようきょう)腎研究所弘前病院
福祉
- 希望ヶ丘ホーム
商業
- きものセンターゴルフ練習場
- 弘前乗馬クラブ
工業
- オオトリテクニカ
- 弘前ジーンズ
- マルキ建設
- 島津電設
教会
- 天理教弘堀東分教会
公共
- 墓地公園
- 小沢町会広野集会所
- 小沢町会共進集会所
- 市立清水公民館
- 小沢地区コミュニティ消防センター
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 小字・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
小沢 | 山崎 | 弘前市立文京小学校 | 弘前市立南中学校 |
小沢 | 全域 | 弘前市立小沢小学校 | 弘前市立第四中学校 |
交通
- 弘南バス
- 小沢北口、小沢神社前、野元、中央梨の木、墓地公園(弘前駅 - 久渡寺線)停留所。
- 鷹揚郷前、希望ヶ丘ホーム前(ミニバス - 城南・希望ヶ丘ホーム経由 - 桜ヶ丘団地線)停留所。
- 希望ヶ丘ホーム前停留所には、バスターミナル発着の中の1往復停車
脚注
- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
![]() |
青樹町・金属町 | 大開、大原、桜ケ丘 | ![]() | |
悪戸 | ![]() |
原ケ平・大和沢 | ||
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![]() | ||||
湯口・坂元 | 一野渡 |
「小沢 (弘前市)」の例文・使い方・用例・文例
- 小沢さんが次のマネジャーになる予定ですか。
- 2位は小沢一郎自由党党首,自民党総裁で首相の小泉純一郎首相は第3位だった。
- 自由党の小沢一郎党首は,演説で「国民生活を考えない政治を変えなくてはならない。」と語った。
- 7月23日,民主党と自由党のトップリーダーである菅(かん)直(なお)人(と)代表と小沢一郎党首が,9月末までに両党を合併することに合意した。
- 菅代表の計画によると,菅代表が首相になり,小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏,田中康(やす)夫(お)長野県知事らが内閣に加わる。
- 小沢一郎氏は代表に立候補すると言ったが,彼もまた国民年金に加入していなかった(時期があった)ため立候補を取り下げた。
- 選挙後,岡田氏は菅氏,小沢氏と握手をして党の結束を示した。
- 1人目は民主党の小沢一郎代表だった。
- 3日間の日本滞在中,クリントン長官は麻生(あそう)太郎首相や中(なか)曽(そ)根(ね)弘(ひろ)文(ふみ)外相,小沢一郎民主党代表と会談した。
- しかし,首相と民主党の小沢一郎幹事長が政治スキャンダルで打撃を受けると,支持率は低下した。
- 小沢幹事長も辞任した。
- 菅(かん)直(なお)人(と)首相が小沢一郎民主党前幹事長に圧勝し,代表に再選された。
- 菅氏と小沢氏は選挙運動期間中,互いに激戦をくり広げた。
- 結局,菅氏が民主党の国会議員,地方議員,一般党員,党の登録サポーターから721ポイントを獲得したのに対し,小沢氏が獲得したのは491ポイントだった。
- 自身で党の結束を呼びかけたにもかかわらず,主要ポストのほとんどが反小沢派の国会議員で占められた。
- 小沢氏は消費増税法案で民主党に反対する票を投じた後,党から除籍された。
- 小沢氏の新党には衆参両院の議員49人がいる。
- 新党設立を発表する集会で,小沢氏は「首相は日本国民との約束を反(ほ)故(ご)にした。」と野田佳(よし)彦(ひこ)首相を批判した。
- 小沢氏は増税に反対する決意を表明した。
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