禰宜町とは? わかりやすく解説

禰宜町

読み方:ネギマチ(negimachi)

所在 青森県弘前市


祢宜町

読み方:ネギチョウ(negichou)

所在 愛知県半田市


祢宜町

読み方:ネギマチ(negimachi)

所在 愛知県津島市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒036-8056  青森県弘前市禰宜町
〒475-0038  愛知県半田市祢宜町
〒496-0852  愛知県津島市祢宜町

禰宜町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 05:39 UTC 版)

日本 > 青森県 > 弘前市 > 禰宜町
禰宜町
禰宜町
禰宜町の位置
北緯40度36分43.4秒 東経140度28分29.31秒 / 北緯40.612056度 東経140.4748083度 / 40.612056; 140.4748083
日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 224人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8056
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

禰宜町(ねぎまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8056。2017年6月1日時点での人口は224人、世帯数は107世帯[1]

地理

田茂木町の裏手に位置する町。町域の北部は宮園、東部は田町、南部は田茂木町、西部は若党町に接する。

歴史

  • 寛永末年頃 - 津軽弘前城之絵図によれば禰宜町として戸数27、そして弘前八幡宮の禰宜・社人の屋敷が並ぶ。
  • 寛政12年(1800年) - 分間弘前大絵図では、禰宜の住む屋敷14と、近隣の小人町から町屋28軒が連なり、八幡宮への門前町を形成。
  • 現在 - 北横町から八幡町にかけての参道が発達し、門前町としての性格は失われ、当時の面影も、わずかに黒板塀・サワラ垣に残す。

沿革

  • 江戸時代 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年〜 - 弘前市を冠称。
  • 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
  • 1978年昭和53年) - 一部が田町二丁目になる。

地名の由来

かつて禰宜(神職)が居住していたことから。

施設

教会

  • 天理教禰宜町分教会
  • 神理教弘前教会

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
禰宜町 全域 弘前市立時敏小学校 弘前市立第一中学校

交通

関連項目

脚注

  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。

参考文献

角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)




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