覚仙町とは? わかりやすく解説

覚仙町

読み方:カクセンチョウ(kakusenchou)

所在 青森県弘前市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒036-8204  青森県弘前市覚仙町

覚仙町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 23:42 UTC 版)

日本 > 青森県 > 弘前市 > 覚仙町
覚仙町
覚仙町
覚仙町の位置
北緯40度36分2.39秒 東経140度27分46.66秒 / 北緯40.6006639度 東経140.4629611度 / 40.6006639; 140.4629611
日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 101人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8204
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

覚仙町(かくせんちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8204。2017年6月1日現在の人口は101人、世帯数は56世帯[1]

地理

町域の北部は森町、東部は本町、南部は在府町、西部は茂森町に接する。

歴史

  • 正保3年 - 町屋とある(津軽弘前城之絵図)。
  • 慶安2年 - 「かち町」と見え、鍛冶10軒・大工1軒・正学坊(修験)・武士などの屋敷若干で、町内に計19軒の屋敷があり、鍛冶職人の町であった(弘前古御絵図)。
  • 寛文13年 - 重森町横丁と見え、武家4・町屋11のほかに学勝院がある(弘前中惣屋敷絵図)。
  • 元禄9~享保6年 - 津軽の三刀匠として知られた国吉家・森宗家・国広家の屋敷が見られる(町絵図)。

沿革

  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
  • 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。

町名の変遷

元禄13年から享保6年にかけて町名が覚勝院前之町・覚勝院町・横鍛冶町と変わり、並行して修験の正学坊が学勝院から覚勝院と変わり、寛政年間に現在の町名である覚仙町の町名が固定したもの(弘前侍町屋敷割・町絵図・分間弘前大絵図)。

施設

医療

  • 佐藤内科

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
覚仙町 全域 弘前市立朝陽小学校 弘前市立第四中学校

交通

覚仙町角(弘前バスターミナル - 相馬・藍内・ロマントピア線、他)停留所。

関連項目

脚注

  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。

参考文献

角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)




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