実録の完成とは? わかりやすく解説

実録の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:38 UTC 版)

大正天皇実録」の記事における「実録の完成」の解説

1934年進捗状況は、叙述実録第一次稿本)全64冊を同年11月中に完成させるなど、前述通り編修期限の延長に伴う事業功程変更職員増員に伴う編集機構変更などがあり、雑務多かったにもかかわらず概して予期上の成果収めた」としている。1935年進捗状況は、同年から官制公布され人員増えて本格的な編集始まり前述の「大正天皇実録補訂功程予定表」に基づいて編集が行われ、同年5月2日15日及び12月5日には元側近奉仕者からの談話聴取行われた史料稿本については、天皇在位期間15年分の6821,0001932年12月完成しており、明治時代分は前述1934年11月26日内奏された「大正天皇実録編集関係増員理由」によると、既存編年史料である明宮記4冊(幼少期誕生した1879年(明治12年)から1888年(明治21年)までを記したもの)と東宮75冊(皇太子時代1889年(明治22年)から1912年(明治45年)までを記したもの)の再精査によって史料稿本77冊約20,000見込み史料稿本は計145冊の約40,000見込んでいる。 このような状況の中、1936年1月8日大谷正男宮内次官浅田恵一参事官渡部信図書頭金田才平秘書課長編修課長久保覚次郎図書寮事務官宮内次官室に集まり会合開き大正天皇十年御式年祭に併わせて実録完成させることが話し合われ次のことが決まった叙述体実録の完成を優先するため、年表索引調製資料稿本整備延期するこれにあたって、他の天皇皇族実録編修影響与えないこととし叙述体実録の完成期限1936年11月末までとする。実録全体完成期限は、繰り上げ編集に伴う手戻り多少見込まれるため半年延期し1937年12月までとする。 その後1935年中の編修進展を受け、残り1902年明治35年)から1927年昭和2年)までの約45冊の実録補訂1936年中に終わらせたのち天皇奉呈乙夜清覧供し後日整理した補訂資料による修訂を行うとしている。この一連の変更のため、年表索引等の調製収集した増補資料整備1937年先送りし収集済み資料実録補訂完成1936年中に繰り上げる旨の稟請書「大正天皇実録編集ニ関スル件」が図書寮から湯浅倉平宮内大臣出され1936年2月22日付け決裁されている。 そして、紆余曲折を経つつも1936年末に大正天皇実録完成した1936年12月21日付けの「大正天皇実録完成ニ付報告案」が渡部信図書頭から松平恒雄宮内大臣出され、「大正天皇御事蹟八十五冊、今般一応完成」などとしている。この報告案に添付されていた別紙大正天皇実録編集概要」(1936年12月付け)によると、この時点実録本文は85冊5,086ページとなっており、実録編纂について「謹ミテ按ズルニ、天皇ノ御治世ハ十有五年ニ過ギザレドモ、東宮御時代ハ二十余年ノ長キニ亘リ、其ノ間地方行啓ノ如キモンド全国ニ普ク、遠ク朝鮮ニモ及ビ、御降誕ヨリセテ四十八年間ノ御事歴ヲ叙セザルベカラザルヲ以テ、御実録ノ謹修ハ必シモ容易ナラズ。」として実録編纂難しさ強調し内容に関しては「時ヲ経ルコト余リニ近キガ為メ機密ニ属スル史料蒐集甚ダ困難ニシテ結局内史料ノ遺漏ナキヲ期シ、御日常ノ御起居ヲ主トシ、宮務ニ関スル治績一斑叙述スルニ限定セザルヲ得ザルニ至レリ加之本年十年御式年祭ニ相当スルヲ以テ、本実録完成ヲ更ニ促進セシメ(以下略)」「政治外交軍事等ノ事苟モ機密ニ亘ルモノハ之ヲ他日大成ニ待ツノ止ムヲ得ザリシコトハ恐懼措ク能ハザル所ナリトス。」としており、一部資料不足から全て網羅しているわけではなく大正天皇十年御式年祭併せるため完成を急ぐなど、不十分さ訴えつつも消化不良のまま編集終えている。大正天皇実録図書寮編集課の一部署で編纂されたため少人数体制で、それに加え資料収集困難さ直面したのに対し人員予算資料恵まれ臨時帝室編集局という独立した組織作られ明治天皇紀とは対照的となっている。 1936年12月22日に、完成した大正天皇実録本文85冊は「天皇皇族実録」の一部52と共に渡部信図書頭から天皇昭和天皇)、皇后香淳皇后)の分が侍従長皇后宮大夫提出され皇太后貞明皇后)の分が皇太后宮大夫提出されている。天皇皇后皇太后へは翌12月23日奉呈されている。奉呈の際、式典催され明治天皇紀比べ大正天皇実録では催され側近に渡すのみで終わっている。 1937年中に行うとしていた年表索引実録資料稿本については、渡部信図書頭から松平恒雄宮内大臣提出され報告書1937年12月24日付け)の別紙大正天皇実録編集事業終了報告」(1937年12月付け)によると、それぞれ年表上下2冊515ページ索引7冊825ページ実録資料稿本21866,897ページとして1937年12月完成し同年12月27日年表2冊、索引7冊が皇室奉呈されている。正誤表1冊も1937年完成している。実録資料稿本当初の予定前述1934年11月段階見込んでいた、史料稿本145冊約40,000のこと)と比べ7325,897ページ増加したとしている。編集事業終了にあたっては「概ネ所期成績ヲ収メ、茲ニ本事業終了報告スルヲ得ルニ至リシコトハ洵ニ光栄トスル所」としており、一定の水準内容達したとの認識示している。その後1938年1月7日出され皇室令第一号によって1934年出され皇室令第五号廃止されこれをもって官制廃止となり編集事業終了した。「他日大成ニ待ツ」としていた政治外交軍事に関する内容編修については、その機会が来ることはなく今に至っている。 なお、本実録編纂が行われている間、明治天皇紀宮内省内の臨時帝室編修局編纂が行われており、明治天皇紀完成する1933年昭和8年)までの6年間、2つ天皇伝記同時並行編纂されていたことになる。また、孝明天皇までの歴代天皇皇族扱った天皇皇族実録」全300冊も宮内省図書寮同時期に編纂されている。

※この「実録の完成」の解説は、「大正天皇実録」の解説の一部です。
「実録の完成」を含む「大正天皇実録」の記事については、「大正天皇実録」の概要を参照ください。

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