編集期限の延長(1回目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:38 UTC 版)
「大正天皇実録」の記事における「編集期限の延長(1回目)」の解説
1932年(昭和7年)6月の編修期限が迫る中、その約10か月前の1931年9月1日付けで事業の3年延長の願書が杉栄三郎図書頭から一木喜徳郎宮内大臣に提出され、同年10月5日付けで承認されている。これにより期限が3年延長され1935年(昭和10年)6月完成予定となった。この中で延長の理由として人員不足を上げており、編集補助を担っていた北小路三郎図書寮編集官が実録編集開始後まもなく他の業務に移り、以来1名減員のままとなっていることから期限に間に合わないとしている。 この時点での進捗状況は、願書に添付された「大正天皇実録編集事業概要」によると、大方の資料収集を終え、謄写文書113冊、収集資料22,170枚、実録起草済12冊(大正元年 - 大正4年)で実録起草残見込数は217冊(大正元年以前152冊、大正5年から大喪まで65冊、起草済の12冊と合わせ計229冊)となっている。その経過は、1927年7月から1930年12月まで資料収集にあて、1931年1月から収集資料の整理を行い、1931年12月に天皇の即位から大喪儀までの編年史料68冊の編修を終えている。 このため、編集課長補助として一般実録事務についていた三条西公正図書寮御用掛を実録起草の任に起用したうえで、編集期限を3年延長したいとしている。これにより、他に編纂が進行中の「天皇皇族実録」の完成時期と重なり、主任の編集課長の執務上都合がよく一層の成績が期待できるとしている。また、三条西を専任として起用するのは減員分を補填する以外に、本実録編纂の作業に精通していた梅田嘱託が1930年に死去し、嘉納嘱託が1931年に実録編集から外れたことに対処するためでもあったとしている。両嘱託の後任は宇宿捷と中根克(その後、中根は杉本勲と交代している)が就いており、三条西は1931年10月から編纂作業に加わっている。
※この「編集期限の延長(1回目)」の解説は、「大正天皇実録」の解説の一部です。
「編集期限の延長(1回目)」を含む「大正天皇実録」の記事については、「大正天皇実録」の概要を参照ください。
- 編集期限の延長のページへのリンク