学歴・教歴とは? わかりやすく解説

学歴・教歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/27 21:58 UTC 版)

アンナ=テレサ・ティミエニエツカ」の記事における「学歴・教歴」の解説

アンナ=テレサ・ティミエニエツカポーランド系フランス人貴族階級の家に生まれた哲学知ったきっかけは、ルヴフワルシャワ学派創始者カジミェシュ・トヴァルドフスキ代表作表象内容対象について(Zur Lehre vom Inhalt und Gegenstand der Vorstellungen)』のほか、プラトンベルクソン著作若くして読んだことであったプラトンベルクソン哲学については、母のマリア=ルドヴィカ・ド・ランヴァル・ティミエニエツカから手ほどきをうけた。 第二次世界大戦の終戦後、クラクフヤギェウォ大学にて、ローマン・インガルデン指導のもとで哲学体系的に勉強し始めた。インガルデンは、カジミェシュ・トヴァルドフスキエトムント・フッサール弟子である。同時に、ティミエニエツカはクラクフ美術アカデミーにも通った。 わずか2年大学正規課程をすべて修了した後、スイスフリブール大学進学し著名なポーランド人哲学者論理学者のヨゼフ・マリア・ボヘンスキーのもとで研究続けた博士論文テーマは、ニコライ・ハルトマンローマン・インガルデン哲学における現象学的基盤解明することであり、のちに『本質実存Essence and Existence)』(1957年)というタイトル出版された。二つ目博士号フランス哲学文学に関するもので、1951年ソルボンヌ大学取得した1952年から1953年にかけて、ベルギーブルッヘにある欧州大学院大学社会科学政治学ポスドク研究行った。このときから、ティミエニエツカは完全にフッサール的でもインガルデン的でもない、独自の現象学的態度備えた哲学構築し始めた1956年ヘンドリック・ハウタッカー結婚した。ハウタッカーは、スタンフォード大学経済学教授(1954-1960年)、ハーバード大学経済学教授1960年から)、ニクソン大統領経済諮問委員会メンバー1969-1971年)を務めた人物である。 1979年前年ヨハネ・パウロ2世としてローマ教皇就任していたカロル・ヴォイティワ協働しヴォイティワ著作人格行為Osoba i czyn)』の英訳行った。『人格行為』は、ヴォイティワ最初期作品一つであり、もともとポーランド語執筆され、その後フランス語イタリア語ドイツ語スペイン語、英語、その他の言語翻訳された。しかし、ティミエニエツカの英訳は強い批判浴びることになった批判者によれば、ティミエニエツカは「ポーランド語書かれ原著改変し、専門用語混乱させ、テクスト訳者自身の哲学関心合わせてねじ曲げた」という。ヨハネ・パウロ2世も、この翻訳には納得しなかったと言われている。さらに、英訳ポーランド語書かれ原著より早く出版されており、著者望んだ最終稿ではなく、古い原稿翻訳底本使われていた。批判者示唆するところによれば、ティミエニエツカがつけた英語版タイトルの『The Acting Person』がすでに問題含みである。というのも原著タイトルは、主観的意識人格)と客観的現実行為)間の緊張関係という、同書著者意図していたメッセージ中核伝えるために採用されものだからである。多く反対者抗して、ティミエニエツカは2001年自分の手がけた翻訳こそが『人格行為』の英訳決定版」だと主張した。 ティミエニエツカはオレゴン州立大学数学助教授(1955-1956年)、ペンシルベニア州立大学助教授1957年から)を務めたほか、1961年から1966年までラドクリフ大学独立研究所所属し1972年から1973年までニューヨークセント・ジョーンズ大学哲学教授務めた

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学歴・教歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 07:28 UTC 版)

メアリ・デイリー」の記事における「学歴・教歴」の解説

メアリ・デイリー1928年10月16日ニューヨーク州スケネクタディ生まれたカトリック教育を受け、1950年にカレッジ・オブ・セント・ローズ(英語版)(ニューヨーク州オールバニ)で英語とラテン語専攻し学士号取得1952年にアメリカ・カトリック大学英語版)(ワシントンD.C.)で英語を専攻し修士号取得した1954年にセント・メアリーズ・カレッジ(インディアナ州ノートルダム)で哲学博士号取得した後、1954年から59年までカーディナル・クッシング・カレッジ(英語版)(マサチューセッツ州ブルックライン)で哲学神学講義担当した。さらに、スイスフリブール大学学び1963年神学博士号1965年哲学博士号取得したカトリック神学牙城であるフリブール大学神学部では女子学生極めてまれで、デイリー異端視された。1959年から66年にかけて、引き続きフリブール大学で、米国の大学学部3年次対象とした短期留学プログラム「ジュニア・イヤー・アブロード・プログラム」の受入学生に哲学神学教えた1966年イエズス会によって1863年リベラル・アーツ・カレッジとして創設され、現在もイエズス会運営するボストン・カレッジ神学部助教授として就任した

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