1969 - 1971年
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「インペリアル (自動車)」の記事における「1969 - 1971年」の解説
1969年式モデルの新しいスタイリングをクライスラーは「機体スタイル」(Fuselage Look )と称した。1964年式から1968年式モデルにかけての角張った形に替わり1969年式モデルのインペリアルは、ベルトライン部(窓の下を走る線)が張り出しロッカーパネル部(ドアの下)で折り込まれる曲線を描く「タンブルホーム」(Tumblehome )型のボディ側面を持っていた。1960-1968年のインペリアルと異なり、コスト削減のため同年代のフルサイズのクライスラーの車種と基本的にボディを共有していた。時流に乗り遅れないように僅かでも飾りを廃し外観はより滑らかになっていた。当時流行の全幅に渡るラジエターグリルにするためにヘッドライトは初めてカバーの裏に隠された。1969年式モデルはインペリアル・セダンにとっては最後で、2ドアのインペリアル・ルバロンにとっては最初のモデルイヤーであった。 外観以外ではほとんど変化はなく、ボディ構造は同じモノコックを使用し、エンジンと変速機も同一、前輪サスペンションにはいまだにトーションバー・スプリングを使用していた。 1970年式モデルの差異は小さなものであった。ラジエターグリルは仕切り板で大きく区分けされたものに変わった。前部のコーナーリングランプ(cornering lamp)は1969年式モデルの「鮫のエラ」状から長方形のものに変わった。ロッカーパネル部には幅広のクロームの線が追加され、ボディ側面のビニール製の飾りはオプションとなり、後輪の覆い(fender skirt)は(この年のみ)取り去られた。全長19 ft (5.8 m)のインペリアルはキャデラック・フリートウッド 75(Cadillac Fleetwood)を除けば1970年で入手できる最も長い車であった。この年式はインペリアル・クラウン系の最後のモデルイヤーで、ルバロンのみが継続された。 1971年式モデルはインペリアル・ルバロンの2ドアと4ドア・ハードトップの僅か2モデルだけであった。ボンネット上のインペリアルの鷲紋章は廃されて「IMPERIAL」の文字に変わり、トランクの蓋に付けられたバッジには当初「IMPERIAL by Chrysler」と記されていた。1971年式のインペリアルはベンディックス(Bendix)製の4輪アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)を装着した米国初の量産車で知られるが、当時はめったに注文されないオプションであった。なお、ABSを装備した世界初の量産車はイギリスのジェンセン・FF(1966年)であり、ABSを装着した両車は、現在、世界初のABS搭載の量産車1978を標榜しているメルセデス・ベンツ・Sクラスよりおおよそ10年は先んじていた。 ビニール張りの屋根(vinyl top)は標準であったが、短期間バーガンディ色のボディ塗色には特徴ある模様の入ったバーガンディ色のビニールがオプションで設定された。このバーガンディ色のビニールは1969年式と1970年式モデルのダッジとプリマスのいくつかの車種に設定されていた「モド・トップ」(Mod Top )模様のビニールの使い古したものを色付けし直したものだという噂が流れたが、クライスラーのデザイナーでありしばしば「コレクティブル・オートモビル」(Collectible Automobile )誌に寄稿しているジェフリー・ゴッドシャル(Jeffrey Godshall )によるとこの噂は誤りだということである。それを示す証拠は、バーガンディ色の塗装が剥げると紫色の模様 "ペイズリー"が現れることである。クライスラーは標準の白色と黒色のビニールと共に様々な色の屋根を提供したが、残っている物は僅かである。
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