1968年選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/16 07:20 UTC 版)
「アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980)」の記事における「1968年選挙」の解説
1968年、ジョンソン大統領はその再選を求める運動を始めた。民主党員であるユージーン・マッカーシーが反戦という綱領に立ってジョンソンの対抗馬に立った。マッカーシーはニューハンプシャー州で行われた最初の予備選挙では敗れたが、現職候補に対してかなりの善戦を行った。この結果はジョンソン陣営にとって打撃であり、他の要素もあってジョンソンは3月のテレビ放送された演説で指名選挙戦から撤退するという電撃発表を行った。このときパリでベトナムとの休戦交渉を始めることも報せた。 ジョンソンが指名選挙戦から離脱するという機会を捉えて、ロバート・ケネディがやはり反戦という綱領に立って指名選挙戦に出馬した。ジョンソンの副大統領であるヒューバート・H・ハンフリーも指名を求めて出馬し、南ベトナム政府の支援を続けると約束した。 その夏、ロバート・ケネディが暗殺され、マッカーシーは党内特権階級の中にあったハンフリー支持を敗れなかった。ハンフリーが民主党の指名を獲得し、一般選挙では共和党のリチャード・ニクソンと戦った。ニクソンは、「ヒッピー」のカウンターカルチャーを毛嫌いする中道アメリカ人の「沈黙する多数」と呼ばれる人々に訴えた。またその「秘密の計画」で「名誉ある和平」によってベトナム戦争を終わらせると約束もした。「ベトナム化」と呼んだ戦争をベトナム人の手に任せてしまう戦略を確立するニクソン・ドクトリンを提案した。民主党が割れる中でニクソンは大統領選挙に当選した。
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