「ベトナム化」
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「ベトナム共和国海軍」の記事における「「ベトナム化」」の解説
1969年初頭、リチャード・ニクソン米大統領はベトナム化(Vietnamization)として知られる声明を発表した。この声明によって始まったベトナム化プロセスのうち、海軍に関する部分はACTOV(Accelerated Turnover to the Vietnamese, 「ベトナムへの早急な引継ぎ」の意味)と呼ばれ、ベトナムに展開していたアメリカ海軍及びアメリカ沿岸警備隊の河川警備艇及び河川哨戒艇などの舟艇、司令部や作戦基地などの施設の引渡しが順次行われていった。1969年中頃、ベトナムにおける最後のアメリカ軍水上部隊であった機動沿岸部隊(Mobile Riverine Force, MRF)が解体され、64隻の河川戦闘艇がベトナム共和国海軍に引き渡された。1970年末までに米海軍はベトナム全土における作戦行動を全て中止し、最終的に293隻の河川哨戒艇と223隻の河川戦闘艇がベトナム共和国海軍に引き渡された。 さらに1970年から1971年の間にベトナム沿岸及び周辺公海上の警備活動を中止した。これらの作戦をベトナム共和国海軍に改めて委任するべく、アメリカ海軍は4隻のアメリカ沿岸警備隊のカッター、レーダーピケット艦として1隻の護衛駆逐艦、1隻の戦車揚陸艦、及び複数の軍港施設、機雷戦艦艇、様々な支援艦艇などを譲渡した。1972年8月、アメリカ軍が最後まで残っていた16箇所の沿岸レーダー施設を共和国海軍に引渡し、沿岸警備任務が完全に引き継がれた。1973年の段階で、ベトナム共和国海軍は42000人の将兵と1400隻の艦船を有していた。
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