学業時代(ウィーン、1879年-1890年)
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「ルドルフ・シュタイナー」の記事における「学業時代(ウィーン、1879年-1890年)」の解説
1879年8月、インツァースドルフ(ウィーンから南東南へ約5km離れた近郊都市)への転勤のため、そこから2km離れたオーベルラーに住む。実業学校の卒業生には大学入学資格がなかったため、奨学金を得て高専に進むことにする。入学までの夏休みには(新学期は秋に始まるので)フィヒテの知識学に没頭する。10月、ウィーン工業高等専門学校(現ウィーン工科大学)の実業学校教職コース[要出典]に入学し、主に数学、生物学、物理学、化学を学ぶ。また、ウィーン大学などでも聴講生として講義を聞く。事物の根本をすべて物質に還元して説明する自然科学と自身の霊的経験とのギャップに悩む。 1880年(19歳)、この頃、通学の汽車の中で薬草収集人フェーリクス・コグーツキ (Felix Kogutzki, 1833-1909) と出会い、交友を深める。後にトルマウの自宅を度々訪問するようになり、かれを通じて、人類の歴史の中で密かに霊的な叡智が受け継がれてきたことを知り、これまで人に話してこなかった自分の霊的な経験を語る。 1882年(21歳)、家族はブルン・アム・ゲビルゲ(ウィーンから南西へ約10km離れた都市)に転居。この頃、コグーツキの紹介で、シュタイナー自身が“霊的な教師”と呼ぶ導師(マイスター)に出会う。その無名の男から人生についてのアドバイスをいくつか受けたという。 『原子論的概念に対する唯一可能な批判』と題する論文をフリードリヒ・テオドール・フィッシャーに送る。この頃シュタイナーは、音楽に対して非常な難色を示すようになり、決定的な反ワーグナーを主張するようになる(後には「音楽で霊的秘儀を解釈しようとしているリヒャルト・ワーグナーを研究しなければなりません」と語っている)。 1883年(22歳)、3月、当時の著名な出版家ヨーゼフ・キルシュナー(1853年-1902年)は、ドイツ文学史の教授カール・ユリウス・シュレーアー(1825年-1900年)の紹介で、無名の学生であった22歳のシュタイナーの才能に注目し、ゲーテの自然科学に関する著作を校訂して序文を書く仕事を依頼する(『ゲーテの自然科学論文集』は翌1884年に第1巻が上梓され、14年後の1897年に全5巻が完成)。シュレーアーを通してゲーテに触れ、ゲーテに関する基礎的な研究を始めた。この頃『ファウスト』を初めて読む。霊を否定する近代の自然科学では生命の本当の姿を捉えることはできないと考えるシュタイナーは、自然(物質)と霊(精神)の間の架け橋を示すゲーテの世界観に可能性を感じる。シュタイナーはシュレーアーの観念論をさらに発展させ、自らそれを「客観的観念論」と呼ぶようになる。ライトリンガーの実験室にて、物理学講座を選択し、特に光学に関する知識を得、後の『ゲーテの色彩論』の編集の際に、光の本質を理解するための基礎を築く。 10月、教職資格を取得することなくウィーン工業高等専門学校を中退。 1884年(23歳)、木綿商を営むウイーンのシュペヒト家で家庭教師としての副業を開始する。その10歳になる息子は水頭症で発達が遅れていたが、シュタイナーの献身的な働きにより、2年後には健康状態も改善され、ギムナジウムに入学することができた(後には医者になる)。哲学者エドゥアルト・フォン・ハルトマンの『人倫的意識の現象学』の研究に専念する。 1886年(25歳)、キュルシュナーからシュタイナーを紹介されたシュペーマンは、同年10月、『ゲーテの自然科学論文集』の副読本として、シュタイナーの処女作となる『ゲーテ世界観の認識要綱』 (GA2) を出版する。 1888年(27歳)、1月から7月にかけて『ドイツ週報誌』の編集をする。キュルシュナー編集の辞典の縁もあり、美学に関する研究を進め、特にアレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテンとエドゥアルト・フォン・ハルトマンの美学史に専念し、その研究内容はワイマールの「ゲーテ協会」にて『新たな美学の父としてのゲーテ』という題名の講義によって公開される。ロベルト・ハマーリングの『ホムンクルス』に強い感銘を受ける。プロテスタント系の牧師と興味深い出会いをする。豊富な交友関係とは裏腹に、内的な孤独に見舞われる。 1889年(28歳)、初めてニーチェの『善悪の彼岸』を読む。ハルトマンに初めて面会し、画家ローザ・マイレーダー (1858年-1938年) とも知り合う。冬にウィーンの神智学徒フリードリヒ・エクシュタイン (Friedrich Eckstein, 1861年-1939年) と知り合う。
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