学徒勤労動員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「学徒勤労動員」の解説
1944年3月の閣議決定により中等学校3年生(現中学3年)以上の生徒と旧制専門学校・高等学校・大学の学生は原則として4月から授業を停止して1年間、工場・軍事施設・食糧増産に動員できるようになった。いわゆる学徒勤労動員である。10月には中等学校低学年と国民学校高等科(現中学1〜2年)の少年少女たちも動員できるようにされた。 1945年2月の半田製作所の総従業員数は28569人であり、そのうち学徒数は約12000人で42%にあたる。卒業や引揚で減少した1945年8月でも総数26000人のうちの約10000人、39%であり、東海地方では最大の学徒工場だった。愛知県には他府県の学徒が約20000人の大量動員されたことが特色だが、中島飛行機半田製作所はさらに特別であり、動員学校68校のうち、43校約7000人(延べ)が県外動員だった。 100人以上の学徒派遣校は次の通り。 愛知県 半田中学校(810人)、半田商業学校(460人)、半田高等女学校(600人)、半田家政女学校(120人)、横須賀高等女学校(500人)、豊橋高等女学校(300人)、豊橋家政女学校(260人)、松操高等女学校(170人)、愛知実修高等女学校(150人)、名古屋商業実践女学校(150人)、桜花女子商業学校(130人)、中京実業女学校(140人)、半田第一国民学校(340人)、乙川国民学校(340人)、亀崎国民学校(220人)、成岩国民学校(170人)、片葩国民学校(120人)、大府町第一国民学校(150人)、横須賀国民学校(250人) 岐阜県 岐阜師範女子部(120人) 福井県 福井商業学校(180人)、敦賀商業学校(160人) 東京都 中央工業専門学校(180人)、研数専門学校(290人) 山梨県 日川中学校(150人)、韮崎中学校(120人)、甲府商業学校(140人)、栄和高等女学校(100人) 京都府 京都第三中学校(750人)、烏丸商業学校(300人)、園部中学校(200人) 香川県 香川師範男子部(180人)、香川師範女子部(360人)、観音寺商業学校(200人)、三豊中学校(124人)、尽誠学園(300人) 徳島県 徳島師範女子部(250人)、池田中学校(150人)、撫養中学校(140人) 愛媛県 三島中学校(100人)、子安中学校(200人) 高知県 高知師範女子部(138人)、高知市立商業(100人)、城東商業(110人) 鹿児島県 鹿児島第一中学校(400人)、鹿児島第二中学校(289人)、鹿児島市立中学校(219人)、私立鹿児島中学校(380人)、川内中学校(201人) 作業の内容は一般工員が行う多種多様の身体労働。胴体や翼組立(金属機材に電気ドリルで穴をあけエアハンマーで鋲を打ち込む作業が主、多くの人数を必要とした)、部品や計器類の艤装、部品の整理、部品溶接、部品型抜き、部品削り、塗装、防弾ゴム貼り、脚・滑車等の取り付け、電気、進捗係、検査、製図、プレス、農園(健康回復までの一時作業)。 東南海地震では山方工場で86人、葭野工場で10人、7・24空襲では平地女子寮で直撃弾を受け14人が犠牲となった。身障者になるほどの重傷を負った生徒も多い。 地震以後は半田高等女学校の生徒は学校に戻り学校工場で敗戦まで働くことになる。1944年5月、学校工場化実施要綱が制定され、半田高等女学校も第一次学校工場の指定を受けた。学校で中島飛行機の部品生産を行うことになり、校舎の北側に工場を急造し、校長を工場長とする独立工場の体裁をとった。作業は骨組だけの補助翼を麻布で覆い塗料を塗るというものであった。 なお、当時動員学徒だった有名人に、田村高廣(京都第三中学校)がいる。
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