趣味と人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:27 UTC 版)
旧制中学時代にライナー・マリア・リルケの詩に親しみ、旧制高校時代には短歌も嗜んだ鈴木は、講義の合間に詩歌や短文を紹介することがあった。これは講義だけでなく著書の中でも同様で、ハイネ[要曖昧さ回避]、ウィトゲンシュタイン[要曖昧さ回避]、ニーチェ、島崎藤村、旧約聖書などを取り上げている。 なお、鈴木は旧制山形高校時代に八木柊一郎と芝居をしたこともあり、1954年に死去した初代中村吉右衛門の記録映画をきっかけに、歌舞伎好きになる。東北大学時代は上京の度に歌舞伎を見ていたといい、プリンストン大学留学後はすぐに歌舞伎を見に行っていた。鈴木は二代目中村吉右衛門のファンで、留学中には文通もしていた。また、留学中にはジョン・ナッシュと囲碁を打っていたこともある。 鈴木はゲーム理論の歴史を記し、雑誌(『経済評論』『経済セミナー』)や著書で紹介した。16-17歳で学徒勤労動員に従事した際には冷静な目で日記を記録しており、これも雑誌や著書(『学徒勤労動員の日々』『ゲーム理論と共に生きて』)で紹介している(#著書、#連載記事も参照)。鈴木がゲーム理論で世界的な教育研究を成し遂げた原体験に学徒勤労動員があったとする見方もある。 鈴木は自分を「昭和第一期生」と位置付けるとともに、自身をゲーム理論のような合理的な判断ができない人間と自嘲した。大学教員というものをあまり好きではなかったが、教員としての在り方や自信は大山義年のおかげで身に付いたと回想している。学生には「知識(knowledge)よりも叡智(wisdom)を」と呼びかけ、教育研究者には「大学教育の黄金律」を提唱。すぐに役立つもの4割、10-20年で役立つもの3割、20-30年で良かったと思えるもの2割、残り1割は期間関係なく将来必要と思うものに取り組むべき、とした。
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