旧制中学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:58 UTC 版)
1912年、県立鹿児島二中入学。本田は新聞研究部へ入部、毎朝西鹿児島駅(当時)に到着する大阪毎日新聞や時事新報を受け取りに行き、放課後、部員同士で東京や大阪のニュースを読み討論した。この新聞研究部は当時の二中第3代校長が創設したもので、第3代校長は新聞の中から毎週一度、社説を選んで複写し、全校生徒に読ませて感想文を書かせた。本田は二中でジャパン・タイムスの付録、週刊学生版を愛読し、時事英語で使われる単語を暗記した。好きな学科は英語、国語、漢文で、なかでも作文は得意であったが、代数幾何はまったくの不得手だった。 このころ、本田は「中央公論」や「太陽」などを購読し、世界の動向や外交問題に興味を持った。また、在京・在阪の各紙・各誌に文章や俳句の投稿にも熱中した。本田は新聞記者志望であることを公然と言っていたが、当時の鹿児島における士族社会では、軍人、官吏、教師に就くことが良しとされていたため、世間受けは決して良くなかった。
※この「旧制中学時代」の解説は、「本田親男」の解説の一部です。
「旧制中学時代」を含む「本田親男」の記事については、「本田親男」の概要を参照ください。
- 旧制中学時代のページへのリンク