旧制東商業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 22:43 UTC 版)
「大阪市立東商業高等学校」の記事における「旧制東商業学校」の解説
当時の東区の区会の決議により、1920年に東区甲種商業学校として、大阪市東区広小路町(現在の大阪市中央区上町1丁目)に創立した。学校設置には、当時の金額で100万円の巨費が投じられた。創立時の敷地は、現在は大阪府立中央聴覚支援学校となっている。 1921年には東区の区立としての運営から大阪市の直営となり、大阪市立東商業学校として改編された。 太平洋戦争の際、戦時体制により1943年に工業学校への転換を余儀なくされた。生徒は学徒勤労動員により、大阪砲兵工廠・住友金属・久保田鉄工所などへと動員された。 1945年の大阪大空襲では、広小路町の校舎が被害を受けた。
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