山方工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「山方工場」の解説
全体計画図上のA。山方(やまがた)工場というのは、当初の半田製作所新設計画には入っていなかったが、転用すれば即戦力になることに注目して買収を申し入れて入手した工場。当時、半田製作所本工場の南に阿久比川を挟んで隣接していた、東洋紡績の知多工場(現在の半田市東洋町)がそれである。 当時の東洋紡績では企業整備令により、古知野工場・四日市富田工場の最新鋭機をここ知多工場に集約し、工場がようやく全面稼働を始めたところでこの買収申し入れがあったため、売却は到底考えられないとの回答だった。その後何回となく会談が行われたが主張は平行線のまま時が過ぎたが、ある日一転して買収がきまった。東洋紡側からの売却条件は次のようだった。 一、運動場を含む約6万坪全部の土地 一、紡績関係に使用している建物の全部 一、従業員用社宅の建物の全部 一、従業員用寄宿舎の全部 一、売店、その他の建物の全部 一、病院関係の建物、器具および備品の全部 一、阿久比川の伏流水取水のためのポンプ場、送水管およびこれに関する一切の権利 一、東洋紡の退職者で希望する者は全員受け入れること 以上の資産を1700万円で譲渡するとのことだった。 このような条件で買収問題は解決した。なお第7項のポンプ場、送水管およびこれに関する一切の権利は、後年半田市の要望により半田市に移譲された。この山方工場入手により半田製作所が本格的に生産を始めた時は、仕上部品、熔接部品、銅工部品の部品工場、主翼桁職場、塗装と鍍金および、燃料槽の防弾加工等の特殊加工工場、天山胴体組立職場、彩雲胴体組立職場、彩雲翼組立職場等の職場を展開できた。また食堂はそのまま直に開設できたし、寄宿舎もそのまま徴用工用に使用できた。
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